2024.10.06
マタイの福音書22:36-40
イエス・キリストが聖書のなかで最も大切と教えられたこの言葉にはどのような意味があるのでしょうか。
1、愛とは関係である
愛とは関係であり、愛するとは一時的、瞬間的な行為ではなく、両者を結ぶ関係が生まれ、その関係が継続されることです。私たちは生まれながらにして、神様との関係が破壊されていました。それを罪と言います。神様の願いは、私たち人間との壊れた関係が回復され、それが維持されることです。そのためにイエス・キリストの十字架と復活、そして聖霊の内住があるのです。
同時に神様は、私たち人間同士も同じように愛によって結び付けられ、その関係が継続されることを望んでおられます。人間の幸福はお金などの所有物や、社会的地位などとは関係なく、神様と隣人との良好で健全な関係によってはかられるのです。
2、愛するとは関係の継続と深化
神様は私たちと愛によって生まれた関係を継続し、発展させることを望んでおられます。それには日頃の生活のなかで、どれだけ神様と交わりを持つかが重要となります。日々の生活のなかで、神様を感じ、感謝し、賛美していきましょう。
それは隣人との関係も同じです。特に夫婦や家族の絆のなかで、人は愛することを学び、成長し、充実した人生を送ることができるようになります。
3,愛には痛みが伴う
本当の愛には痛みが伴います。そう聖書は教えています。人間は普通にしていたら愛することなどできないのです。神様はまさにキリストの十字架によって、本当の愛を示してくださいました。私たちは自分の力では愛することはできませんが、キリストを見上げ、日々聖霊に満たされることによって、キリストの十字架を負い、キリストの後に続くことができるようになるのです。
4,宣教とは神との関係回復を広げることである。
近年、日本も世界も混迷の度合いがますます激化しています。多くの人が迷い、不安と恐れのなかにいます。神様との関係を回復させることなくして、本当の救いはありません。そして隣人を互いに受け入れあう愛なくして、この世界に平和は戻りません。
この世界の救いのために、神様がなさる方法は聖書の時代も今も同じです。神様のために働く人に声をかけ、遣わすのです。主はこの暗闇の世界で、福音の光を届かせようとする働き人を探しておられます。一人でも多くの人が、福音に触れ、キリストの十字架と復活による愛を受け入れ、聖霊によって神様との関係が回復されますよう、私たちに出来ることをしていきましょう。私たちが互いに愛し合うことを示すことによって、ここに本当の愛があることを知っていただきましょう。
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 ヨハネ15:13