2017.02.12
ヨハネの黙示録 22章1-7節
キリスト教の最終的な「救い」は神様が新しい天と地を再創造されるときに完成します。
1、罪・悪が清算される。
「神が愛なら何故この世界には殺人や戦争がなくならないのか?苦しみがあるのか?」そのように考える人もいます。この世界がもし、これからも永遠にこのままであるなら、確かにその通りです。何の希望も持つことはできません。しかしそうではありません。この世界の苦しみの原因は創造主である神と離れている罪です。神はいつまでもこの問題をほうってはおかれません。いつか罪と悪を裁き、ご自身の御業を完成されます。
いま私たちが生きている時代は、神が最終的な解決をされる直前です。神は私たちを愛するがゆえに、その日を遅らせ、一人でも多くの人がキリストによる神との関係回復を果たし、永遠のいのちを受け取るようにと待っておられるのです。
2、新しい天地が創られる。
神は終わりの日に罪・悪をすべて裁かれますが、それで終わりではありません。その後で、神は新しい天と地を再創造されます。今の宇宙はすべて消え去り、新しい地に神と「いのちの書」に名前が記されている人が住むようになります。神の民はみな、実際に目で見え、手で触れることのできる新しい肉体が与えられます。その身体はもう二度と、病気も老いも死も体験することはありません。聖書には、そこには涙もなく、悲しみも苦しみもないと書かれています。繰り返しますが、今のこの世界は罪によってゆがめられ、あらゆるものが不完全で、悪が満ちていますが、罪のない世界には何の痛みもないのです。これが信仰者の最終的かつ究極的な希望です。 神様は私たちがその素晴らしい世界に入るように願っておられるのです。
3、信仰が鍵。
私たちがこの新しい世界で永遠に生きる鍵は一つだけです。今というこのときに、イエス・キリストを信じる信仰によって、神の霊を受け取るのです。そうすれば、今の一時的な肉体が滅びても、霊と魂は神のところに帰り、来るべき新しい世界で永遠に滅びることのない新しい身体が与えられ、神とともに生きることになります。
私たちは生きているうちに、永遠をどこで過ごすかを決めなければなりません。神は今も、この聖書を通して、語ってくださっています。「帰っておいでよ」と。神の望みと願いは、私たちを裁き、地獄に落とすことではありません。ともに一緒に生きる者になって欲しいのです。私たちが地獄行きを回避する方法は一つしかありません。このキリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架に架ってくださったこと。そして3日目によみがえってくださったことを信じる信仰だけです。「信じるだけで良い」というこの神の偉大な愛に気付いて、「帰っておいでよ」という声に応えましょう。
また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。 ヨハネの黙示録21:3-4