2016.07.03
コリント人への手紙第一12章12-27節
教会とはギリシャ語で「召された者の集まり」という意味です。神様から声をかけられ、招かれない限り教会に来ることはできないのです。神様は何のために私たちを呼んでくださっているのでしょうか。
1、キリストのからだの一部となるように
教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。エペソ1:23
聖書は教会のことを「キリストのからだ」と呼んでいます。キリストを信じるということは、キリストのからだである教会に所属し、その一部となるということです。私たちはこの世界に生きながらも、目に見えない霊的世界に所属するものとなりました。それは天に帰られているキリストの働きを聖霊とともに継続するためです。キリストを信じる者は、この地上でどんな苦しみにあおうとも、神の護りのなかで歩むことができ、最後に勝利者となるのです。あなたも呼ばれています。神の招きの声に応えましょう。
2、信じる者がひとつとなるように。
12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
教会には色々な人が招かれています。年齢、性別、職業、国籍や言語でさえも違う場合があります。しかし私たちは皆、キリストによって一つとされているのです。世界は今色々な意味で分裂の危機を迎えています。人間の本来の姿は、孤独で、自己中心で、互いに理解し合えない悩みと怒りで満ちているのです。しかし神様は、この世界に教会を建てることによって、人間の力では絶対にできないことをしてくださるのです。それが私たちが信仰と聖霊によって、色々な違いを乗り越えて一つとなることです。教会の一員になることによって人は、所属している安心感、受け入れられている充足感、何かができるという喜びを持つことができるのです。このキリストのからだに、あなたも招かれています。
3、互いにいたわりあうために。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
人間は罪のために大切なものが見えなくなり、強いこと、たくさん持つこと、高いところに立つことが良いことであり、弱いこと、持てないこと、低いところにいることが悪いことのように考え、そこに争いや憎しみ合いや苦しみが生まれます。しかし教会はそうではありません。皆でいたわりあい、お互いに弱さをカバーしあうために存在しています。そして一人が苦しめば皆で苦しみ、一人が喜べば、皆で喜ぶと教えられています。これはキリストが最後の晩餐の席で弟子たちに命じられたことです。神様は今も十字架を通して、世界のすべての人をこの教会に招いておられます。この神の招く声を聴いたのなら、神の愛の共同体にお入りください。
「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」ヨハネ13:35