2015.09.15
イサクの生涯④
創世記27章31-38節
イサクは年をとり、目が不自由になりました。彼は最後に長男エサウを祝福することとし、彼の好物である肉料理を持ってくるように頼みました。しかしこのことを知った妻リベカは自分の愛する弟のヤコブに祝福を受けさせようとします。イサクはまんまと騙されてしまい、ヤコブに祝福を授けるのです。
1、言葉には力がある。
現代人の私たちには、イサクやエサウの狼狽と落胆ぶりは不思議に見えます。「ヤコブの祝福は取り消すと言って、同じようにエサウにも祝福を祈ってあげたらいいじゃないか。」と思えます。しかし彼らは一度口から出た言葉(特に神の名によって語った言葉)は取り消すことはできず、また必ずその言葉通りに実現すると考えていたのです。口から出す言葉には力があるからです。多くの人が、口から出す言葉の威力を過小評価していますが、言葉には無限の力が備わっているのです。
聖書はそのことを繰り返し教えています。この世界に何もなかった時に、神様は「光よ、あれ」と言葉を発せられました。すると光が出来たと創世記の最初に記されています。天地創造の始まりです。その後神様はご自身の言葉によって、世界を一つ一つ完成されました。すべてのものが、神様の言葉によって生み出されたのです。そしてその言葉の力が、人間にも備わっているのです。この言葉を人を祝福するために使うのか、それとも呪うために使うのか、私たちはよく考える必要があります。
2、神の選びは確かである。
ここでもう一つ分かることは、神の選びの確かさです。実は弟のヤコブが兄のエサウの上に立つということは彼らの生まれる前からの神の定めだったのです(創25:23)。一見人間同士の悲しい騙し合いのように見えるこのお話しも、神の目から見るならば、ご自身の計画が進んでいることを確認することができるのです。 神は私たちをも同じように選んでくださり、罪を赦し、子どもとしての特権を与えてくださいました。私たち自身には選ばれる理由などないにもかかわらずです。
3、神に感謝し、従おう。
妻と息子に騙されてしまったように見えるイサクですが、彼の生涯もまた、父アブラハムと同じように、罪や失敗を重ねながらも、神の計画が実現するために用いられた人生でした。神から受けた約束のすべてを見ることはできませんでしたが、そのことを信じて従い通したのです。
私たちもこの地上での人生を決して順調ではなく、迷ったり、躓いたりしながら歩いていきます。その歩みを確かなものとするのは、「神はこんな罪人の私を選び、呼んでくださった」という信仰だけです。選んだ以上神はあなたの人生にも計画を持っておられ、ご自身の栄光を表したいと望んでおられます。神に従い、この人生を使ってくださることを願っていきましょう。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。イザヤ 55:11