その73 「無敵の人生」

2015.07.12

創世記26:12-22

 イサクは成長し、リベカという妻を持ち、二人の子どもエサウとヤコブも与えられました。彼の生涯は父、または子のものと比べると特筆すべき出来事も少なく、非常に穏やかに見えます。しかしクリスチャンとして学ぶことがあります。この章には人から妬まれ、妨害されながらも黙々と井戸を掘るイサクの姿が描かれています。

1、争わない。

 ぺリシテ人から妬まれてすべての井戸を塞がれたイサクはゲラルに移動してそこで井戸を掘りはじめます。しかし、そこでも2度に渡って妨害が入り、諦めて他の場所で井戸を掘ります。そしてついに争いのない場所を見つけました。イサクはどんなときも争いを避け、非常に苦労しますが、それでも「主は私たちに広い所を与えてくださった(22節)と感謝しています。

 人と争わずに敵を作らないと「無敵」になれます。イサクの生き方は一見弱々しく力のないように見えますが神の大きな祝福を受けました。キリストは「剣を取る者はみな剣で滅びます(マタイ26:52)」と言われました。またパウロも「義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。(2テモテ2:22」と戒めています。世の価値観ではなく、神の国の原則に生きましょう。

2、勤勉に生きる。

 神に愛され祝福されたイサクですが、何もせずに怠惰に生きていたわけではありません。種を蒔き(12節)、何度挫折しても井戸を掘り続けます(18,21,22節)。このような真摯で勤勉な姿こそクリスチャンの模範と言えます。パウロもテサロニケのクリちゃんたちに「落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。(Ⅰテサ 4:11)」と命じました。

 状況を嘆き、環境を恨み、諦めることは簡単です。しかし困難のなかにあっても希望を失わず、何よりもいつも共にいて、私たちを見ていてくださる神を見上げて生きること、自分に託された使命を全うすることが私たちの目指すべき生き方です。

3、神の祝福を受ける。

 周り中敵だらけの状況にあり、そして争いを避け、力なく生きているように見えるイサクですが、その生涯はどんどん繁栄していきます。神が祝福されたからです。彼はアブラハムとサラのたった一人の子であり、約束の子であったからです。周りがどんなに彼を「あいつはよそ者だ。気の弱いやつだ。力のないやつだ」と侮り、罵ったとしても、神は決して彼から離れず、彼のなすことを祝福し続けてくださったのでした。

 神の目から見て、私たちクリスチャンもイサクと同じです。大切な存在なのです。何故ならイエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰によってキリストとともに神の相続人となっているからです。この世界は一時的な寄留の地であり、私たちの故郷は天にあります。そこでは永遠の慰めと繁栄が待っています。世にあって世に流されず、キリストを信じる信仰によって生きていきましょう。

もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。ローマ 8:17

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