2015.03.29
ヨハネの福音書19:17-37
キリスト教会では次の日曜日から土曜日までを受難週と呼び、特に金曜日を受難日と言います。木曜夜の最後の晩餐の後、イエス様は金曜日の夜明け前に捕らえられ、スピード裁判であっと言う間に判決を受け、鞭でさんざん打たれた後、朝の9時に十字架につけられました。そして午後3時まで十字架の上で苦しまれ、息を引き取られるのです。 このキリストの苦しみの意味を考えていきましょう。
キリストの苦しみは…
1、聖書の約束の実現であった。
イエスとは何者なのかということが多くの人の間で議論されています。ある人は偉大な教師。ある人は愛の教えを説いた宗教家と考えているかもしれません。しかしどちらにせよ、偶然生まれて可哀想な死に方をしただけの人と考えるのは間違いです。
ヨハネは明確に、イエスの苦しみ一つひとつが、実は(旧約)聖書に予め予告されていたことだと書いています。 では一体何のためでしょうか?そのことも聖書にはっきりと書かれています。それは私たち人間一人ひとりの罪のためだったと。神さまは人を愛し、何とか救い出そうと、御子イエス・キリストを地上に人として生まれさせてくださり、定められたときに、十字架で苦しませ、死なせることによって、罪ののろいを断ち切られたのです。
キリストの苦しみは聖書に書かれているとおり私たちのためだったことを信じましょう。
2、人間の救いの完成であった。
v30 完成した。
私たちが罪赦され、救われるために付け足すものはありません。この十字架の苦しみと死によって、神の救いは完成したのです。
この時神殿の幕が上から真っ二つに裂けたと他の福音書には書かれています。神と人とを隔てる壁は取り除かれ、信仰によって神の御前に出ることができるようになったのです。
この歴史的真理と事実を信じるだけで良いのです。感謝しましょう。
3、目撃者から伝えられている。
v35 それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。
この目撃者の証言が、2000年間絶えることなくバトンタッチされて、現在に至ります。途中で誰かが作った話ではありません。キリストの苦しみの直接の目撃者からはじまっているのです。 聖書は常に私たち一人ひとりに「あなたは信じるのか?それとも信じないのか?」と問うています。
心からこの恵みのメッセージを受け取り、神様に感謝する者となりましょう。
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 1コリント1:18