その270 らしく生きるために

2025.03.16

ガラテヤ5:16-26

「クリスチャンは教会の外でも生きる」。当たり前のことですが、この教会の中だけの時間がクリスチャン生活ではありません。むしろこの教会を一歩出た瞬間から、来週この建物に入るその時までのほうが、クリスチャンとしてどう生きるのか、大切なことが問われているということをもう一度知っていただきたいのです。私たちが聖霊を必要とするのは、実はこの教会の中で過ごすためではなく、教会の外で生きるためでもあります。言い換えれば、聖霊は私たちの人生すべての領域に渡って、ご自身の影響を表わしたいと願っておられるのです。

、私たちのなかに新しい自分と古い自分が共存している。

 確かに私たちは、イエス様を自分の救い主と信じた瞬間、新しくされました。イエス様の霊が、自分の中に住んでくださるようになりました。でも、依然として古い自分は生きている。「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。17節」

、聖霊は私たちに強制しない。

 私たちのうちに住んで下さっている聖霊は、決して私たちに強制するお方ではない。私たちが自分の意思で、従うことを待っておられるお方です。何故なら聖霊は、私たちと本当の意味での友となりたいからです。このことを知る時に、私たちはどれほど大きな愛で愛されているかを知るのです。この聖霊のご性質を知った上で、私達は肉に従うのか、聖霊に従うのか、決断を求められています。御霊に従う決断をしていきましょう。

3、肉の誘惑は私たちにとっての訓練

自分のなかに古い性質が残っていることを自覚することは、訓練であり成長のステップとなります。私たちは自分の力で肉の誘惑と戦い、勝つ必要はありませんし、それはできないことです。私たちはうちに生きておられる聖霊によって、これらの誘惑に打ち勝つことができるのです。

  • 聖霊との交わりをもつ習慣を持ちましょう。
  • 自分の弱さを自覚しましょう。
  • 神の助けを求めましょう。
  • 悪魔に立ち向かう決断をする。

4、御霊に導かれる目的はキリストの似姿に変えられること。

クリスチャンらしく生きるということは、イエス様のような性質を身に付けてゆくということです。22,23節に有名な御霊の実のリストがあります。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。5:22-23」これらはすべてイエス様ご自身が身に付けておられた性質です。私たちが御霊に導かれて生きていくならば、これらの実が、私たちの人格、品性となって結ばれる、実がなるのだとパウロは教えているのです。

  • 時間がかかる。
  • あきらめない

私たちが御霊の実を結ぶということは、決して自分を満足させるためではありませんし、神様から誉めていただくためでもありません。一人の小さなキリストとして、この地上を歩むことです。私たちはそのことを期待されていますし、私たちのうちにある聖霊はそのことを望み、私たちを導いてくださる神です。この神を信じて、導かれて歩む決断を日々していこうではありませんか。

御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。ガラテヤ5:22-23

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