2024.10.20
ヨシュアの生涯⑯
ヨシュア記 15章13-19節
この章もカナンの割り当て地が決められていく記録です。私たちにとっては馴染みのない地名が並んでいるだけで、あまり興味はわきませんが、私たちが教えられるべき教訓も隠されています。今回私たちが注目すべきところは、アクサという女性の知恵です。
前章の宣言通りに、カレブはへブロンを攻略します。そしてその際に、戦いで活躍した者には自分の娘であるアクサを妻として与えると約束しました。そしてその言葉とおりにオテニエルという戦士に娘を与えたのです。オテニエルはアクサに父であるカレブに、「畑をくれるように頼め」といいます。ところが、アクサが父にお願いしたのは、畑ではなく泉でした。
1、本当に必要なものを見極める。
このアクサという女性は、本当に必要なもの、大切なものを見極める目を持っていました。彼女にとっては、もらう土地の大きさや、畑などはどうでも良いことだったのです。彼女が望んだことはただ、水の所有権でした。収穫そのものよりも収穫をもたらす水、それはまさしく命の泉でありました。
私たちも、日常生活の中で、ついつい本当に大切なもの、必要なものを見失ってしまう危険性があります。見た目を重視して、華やかなもの、人から誉められるもの、認められること、・・・そのようなものを手に入れようとして、自分にとって最も必要なものが何であるのかを忘れてしまうのです。私たちにとって、最も必要なものは目に見える贅沢ではなく「命の泉」なのです。
私たちは、私たちに最も必要なものを選ぶようにしましょう。この日曜日の朝、疲れを押して教会に来て、御言葉を聞き、神の家族と祈ることを選ぶか、家でテレビを見ることを選ぶか、私たちには選択の余地が与えられています。神様は私たちに、良いものを選べ、無くてはならないものを選べと言っておられるのです。人生に最も必要なものを見極める目をいただきましょう
2、選んだものを求める。
アクサが立派だったのは、きちんと自分の欲しいものを要求することができたことです。彼女は「土地をいただいて、そのうえ、夫までいただいて、これ以上何かをお願いするのはよくないことではないか」とは思いませんでした。自分に必要だと思うなものを、遠慮しないで求めたのです。求めたからこそ、与えられたのです。このような例は聖書のいたるところで出てきますし、神様は求める者を決して「お前は強欲だ」などと裁いたりなさらずに、愛する者には惜しむことなく与えられる方なのだと聖書は教えています。
ともすると私たちは、日常生活に流され、必要なもの、欲しいものがありながら、神様に積極的に求めることを忘れてしまうことがあります。神様が「私に求めろ」と言っておられるのに、「これでいいや」と、あきらめ、求めようとせず、何の変化もない人生で満足してしまうのです。そんな人生の「流れ」を変えましょう。勇気を出して、流れを変えるために、積極的に求めていく信仰の姿勢を育てていきましょう。主の恵みを日々体験する信仰生活を送りましょう。
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。 ヨハネ15:14