2024.09.15
マタイの福音書6:6-8
およそ「祈り」の要素のない宗教は存在しないでしょうし、特定の信仰のない人でも心のなかで、誰か(何か)に祈った経験はあると思います。今日はキリスト教の祈りについて見てみましょう。
1,祈りは神との人格的な対話。
イエスは「あなたの父に祈りなさい」と教えています。祈りの対象は無機質なものや空気のような存在ではなくて、人格を持って私たちと話をしたいと願う神なのです。イエスはまた、その父なる神は私たちがお願いする前に、私たちに「必要なものを知っておられる」と教えられました。神が私たち1人ひとりを愛しておられるということです。私たちは祈りを通して、神と対話し、神の愛を感じることができます。
教会の礼拝では、皆で心を合わせて一緒に祈る時間を大切にしますが、教会のなかにしかおられない方ではありません。1人で自分の部屋で祈っても良いし、通勤や登校の電車やバスのなかで祈っても構いません。祈っている姿を人に見せたり、聴かせたりする必要はありません。ただ心を目に見えない神に向けて「天のお父さん」と祈ってみてください。そして最後に「イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」という言葉で閉じてください。
2、祈りは物事を動かす。
だからあなたがたに言うのです。 祈って求めるものは何でも、 すでに受けたと信じなさい。 そうすれば、 そのとおりになります。マルコ11:24
抽象的な言い方になりますが、祈ると何かが変わり始めます。私たちの人生には思うようにいかないこともたくさんありますが、祈ることによって事態は変わり、道は開け、神が生きておられることを体験することができます。
私たちは知らないうちに「ここまでは自分の力で頑張って、ここから先だけ神様にお願いしよう」とか「緊急事態や困ったときだけ祈ろう」というふうに考えてしまうかもしれません。しかし祈るときには遠慮は要りません。私たちは子どものように、父なる神に求めることが許されています。
3、祈りは自分を変える。
「父よ。 みこころならば、 この杯をわたしから取りのけてください。 しかし、 わたしの願いではなく、 みこころのとおりにしてください。 」ルカ22:42
祈りとは実は自分を変える作業でもあります。神と対話するなかで、私たちは神に近づき、神の御心を知り、神のために生きることを求めるようになります。
生活のなかの色々な問題で患わされていた自分の心が整理され、人生の優先順位を悟ることができます。
忙しい毎日の生活のなかで、是非祈りのときを持ってみてください。最初はほんの一言、二言でも構いません。少しずつ、神様が身近に感じられ、神が私たちの人生の隅々にまで配慮されている愛の神であることを知ることができるでしょう。
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6-7