ペテロの手紙第一 5章6-11節
2023年がはじまりました。ロシアとウクライナの戦争は終結せず、コロナ禍はまだ収まらず、世界にとって心配の種が尽きない年になりそうです。しかし私たちは、この「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」という御言葉を掲げて、「大丈夫だ」という確信をもって過ごしてまいりましょう。
1、主の報いがあるから。
この手紙は苦難のなかにあるキリスト者に向けて書かれたものですが、ペテロは一貫して、主が再びこの地上にお戻りになるという再臨の希望、そして天国で受ける報いを強調しています。そして信仰者を「寄留者」「旅人」だと表現しています。つまりこの地上は信仰者にとっての永遠の住まいではなく、一時的に留まっている場所に過ぎず、また永遠になくならないものは、この地上ではなく、天に用意されているのです。
わたしたちが、もしこの地上での生涯だけがすべてであると考えるのなら、あらゆることが心配でしかありません。わたしたちはこの地上に永遠に生きることはできません。またどんなに頑張って手に入れたものも、後の世に持っていくことはできません。しかし最後まで信じることを全うした者には、大きな喜びと報いが約束されているのです。この希望を信じて、あらゆることを心配せずに過ごしていきましょう。
2、主の家族があるから。
信仰者の人生は旅のようなものですが、ペテロがここで教えているのは、決して一人旅ではありません。主は私たちのために、聖霊を通してこの地上に教会を建ててくださいました。私たちはこの地上の旅を、神の家族とともに過ごすことができるのです。
心配だらけのこの世界で、一人で信仰を守り抜くのは容易なことではありません。神の家族である教会にしっかりと留まり、一緒に祈り、支えあい、何よりも愛し合う共同体であることが必要なのです。めぐみ教会と銀座は今年も、教会につながる家族皆のことを思い、祈り、支えあう教会として前進していきます。互いに愛し合い、心配の種をおろして、ゆっくりしましょう。聖霊に満たされた愛の共同体としていきましょう。
3、主のことばがあるから。
ペテロは、信仰生活の苦しみのなかを歩く信徒たちを、神様の言葉の確かさによって励ましています。私たちが「心配しなくても良い」という根拠は、いつまでも変わることのない、聖書、神様の言葉にあります。聖書はどんなときにも信仰者たちを励まし、迷ったときの道しるべとなります。
今年も私たちは聖書にしっかりと立つ信仰生活を送っていきましょう。聖霊が聖書を通して、私たちに語る声に耳を傾け、神様から離れていたなら軌道修正をして、良い一年としていきましょう。
今週の暗証聖句
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。マタイ6:30-31