その227 ペンテコステ信仰と聖書

2021.10.17

使徒の働き17章10-12節

ベレヤの人々はパウロたちのキリストに関する証言を聞いたとき「果してそのとおりかどうかを知ろうとして聖書を調べ」、その結果「多くの者が信者になった」と書かれています。彼らの態度は私たちの模範となるものです。聖書の言葉に信頼を置き、常に聖書から答えを見つけようとすることが必要です。

1、聖書は神のことば。

聖書は紀元前1500年ごろに書き始められ、紀元後100年ごろに完成した、1600年かけて書かれた本です。全部で66巻からなり、書いた人は40人ほどと言われています。王、預言者、羊飼い、医者など、さまざまな職業の人がいて、生きた時代も場所も違います。当然彼らが一同に集まって「どんな本を書こうか」と話し合ったわけでもありません。それなのに、聖書は最初から最後まで首尾一貫したテーマで貫かれている不思議な書物です。それは何故かというと、書いた人々の背後に神がおられ、神に動かされた人たちが書いたからです。聖書の本当の著者は神ご自身であり、聖書のことばは神のことばであると私たちは信じています。

2、聖書は信仰生活の基準。

聖書が書かれてから何百年、何千年という月日が経っているにもかかわらず、聖書のことばは色あせることなく、人々の価値観、人生観、世界観などに影響を与え続けています。聖書から絵画、彫刻、音楽などの芸術が生まれ、聖書的価値観に沿って、教育や福祉がなされ、政治や経済が動かされてきました。

私たちは今、大きな歴史の転換点に生かされています。世界はますます混沌とし、様々な価値観がぶつかり合う社会となるでしょう。そのようななかで、聖書が与えられていることは感謝です。私たち信仰者は、聖書が教えることを人生の価値の基準とします。

3、聖書に書かれていることは今も起こる。

新約聖書、特に福音書や使徒の働きには、イエス様や弟子たちによる、多くの病気の癒し、悪霊の追い出しや、奇跡などが記録されています。またパウロの手紙によっても、初代教会には預言や異言や、異言の解き明かしなど、顕著な聖霊の働きがあったことが明白です。しかし時代が経つにつれて、それらの現象が教会で期待されなくなりました。そして「最後の使徒の召天、あるいは新約聖書の完成によって、初代教会に起こっていた癒しや奇跡、預言や異言などの御霊のあらわれは必要なくなり、もう起こらない」という考え方があらわれました。

しかしこのような主張は根拠のないものです。キリストは今も生きて、働いておられる方ですから、預言も異言も今も教会のなかでみられるはずです。いやしや悪霊追い出しは今もあるのです。さらに、聖書には聖霊に満たされて異言を語る弟子たちの姿が書かれています。今も私たちも聖霊に満たされて異言を語るのです。

ペンテコステ信仰の土台は、このように、「聖書に書かれていることは今も起こる」という信仰の再発見であり、この信仰に応じて働かれる聖霊の働きを体験する運動です。

 聖書に書かれていることは今も起こると信じて、神様に期待してまいりましょう。

今週の暗証聖句

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 Ⅱテモテ 3:16

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