2019.05.12
「本当に知らなければならないこと」
イエスのたとえ35
マタイによる福音書 13章52節
13:52 そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」
この章で天の御国について6つのたとえを教えた後で、イエスは弟子たちにこのように話されました。ここで言われている「天の御国の弟子となった学者」「新しい物でも古い物」、そして「取り出す」とは何を意味しているのでしょうか。
1、「学者」とはキリストの福音を受け入れた人。
ここで言われている学者とは一義的には当時旧約聖書の掟を解説し、民衆に教えていた「律法学者」のことです。しかし福音書全体を通して、律法学者たちはイエスを否定し、批判していました。聖書の知識を豊富に持ちながらも、イエスが何者で、何をするために来られたかを理解していなかったのです。そればかりか、多くの人を道に迷わせていたのです。
この世に「学者」と呼ばれる人は多くいます。しかし6つのたとえを教えられた後で、私たち人間が本当に知らなければならないことを知っている人こそが本当の「学者」なのだとイエスは言われたのです。神様が私たちを愛しておられること、私たちを救い、天国に入れるようにするために、どれほど大きなことをしてくださったのか、それこそが、私たちが知らなければならないことであり、このことを知っている人こそ、本当の「学者」です。
2、「新しい物でも古い物でも」とは聖書の真理。
ある人には新しく見えて、またある人には古く見えたとしても真理は真理です。イエス様は決して旧約聖書に書かれている律法を否定するために来られたのではありません。むしろ完成させるために来られたのです。
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。 マタイ 5:17
神様は創世記において罪が世界に入った直後から、キリストの十字架を予告しておられました。この視点でみるならば、聖書は旧約から新約まで、人間の救いという一貫したテーマに貫かれているのです。
3.「取り出す」とは人に伝えること。
天の御国の弟子となった「学者」は「自分だけ知っていれば・・・」、「自分さえ救われればそれで良い」などと考えてはいけません。自分が持っているこの永遠の命のための真理を神様から「預かったもの」として、他の人に伝えて行かなければなりません。これがイエスの弟子たちに対するチャレンジでした。この後弟子たちは、聖霊の力を受けて、全世界にこの福音を伝えるように出て行きました。
この世界に一人でもこの「本当に知らなければならないこと」を知らない人がいる限り、教会は成長し、前進して行かなければなりません。キリストこそが、私たちに永遠の命の希望を与える光です。これからもこの福音を伝えるために伝道してまいりましょう。
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。 マタイ16:26