2018.07.22
約束を守る神 モーセの生涯④
出エジプト記6章1-8節
神様からの召しを受けたモーセは神様の言われたとおり、兄のアロンとともに、エジプトの王の前に出ます。しかし結果は散々でした。王からはきっぱりと拒絶され、そればかりか、イスラエルの民たちの労働は、かえって過酷なものとなってしまいました。「お前のせいでこんなに苦しくなった」と、仲間からも恨まれる始末です。そのようななかでモーセは5章の最後で「どうしてこうなってしまったのですか」と神様に訴えます。その祈りに対する神様の答がこの6章の冒頭の言葉です。
1、答えてくださる神さま。
1節 わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。すなわち強い手で、彼は彼らを出て行かせる。強い手で、彼はその国から彼らを追い出してしまう。
ここで特に「今にあなたにわかる」という言葉に注目しましょう。実際私たちの人生には分からないこと、理解できないことが多々起こります。「どうしてあんなことになってしまったのだろうか。」「どうしてこんなことが起こってしまったのだろうか。」考えてもすぐには分からないことが、私たちの信仰生活には起こるのです。「今は分からない、でも後で分かるようになる。」このことを信じて受け入れるかどうかが、私たちの信仰生活の分かれ道になるのです。モーセもきっと納得がいかなかったに違いありません。「あなたに言われたとおりにやったのに状況はもっと悪くなりました。主よ、どうしてですか」と。彼の心は失望と不安と疑問だらけだったでしょう。しかし神様はそれに対して「今にあなたに分かる」と答えられたのです。必ずあの頑ななエジプトの王、パロは自分からイスラエルの人々に出て行ってくれと言うときが来ると宣言されたのです。私たちもこの神様を信じて、今たとえ、理解できない苦しみ、試練に遭っていたとしても、神様が今に分からせてくださる。「あああの苦しみにはこういう意味があったのだ。あああの挫折は、このような祝福のためにあったのだ。やはり神様はすべてをご存知で、最善をなしてくださる神さまだった」と後で、分かって納得できる日が来るでしょう。このことを信じて従っていきましょう。
2、約束を守ってくださる神。
6:5 今わたしは、エジプトが奴隷としているイスラエル人の嘆きを聞いて、わたしの契約を思い起こした。
6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。わたしは【主】である。」
神様は400年以上も前に交わしたアブラハム、イサク、ヤコブとの約束のことをここに表され、彼らと約束した地に、あなたがたを連れて行くのだと宣言されたのです。アブラハムと約束したのは、もう何百年も昔の話です。何世代も前の話であり、人間の感覚としては無かったことにしてもよいような話だったかもしれません。しかし神様はその約束を覚えておられ、必ずそれを果たすと宣言されたのです。私たち人間は簡単に約束を反故にします。しかし神様は約束を変えることはなさらないし、状況がどうであっても、約束を実現される神様なのです。
この聖書を通して、神様は「世の終わりまで一緒にいる」「罪を赦す」「天国に迎える」「すべてを満たす」など、実に多くのことを私たちクリスチャンに約束してくださっています。そして神様のほうからはその約束を無効にしないと言ってくださっています。私たちのほうがその約束を捨てたり、裏切ったりすることはあっても、神様は約束を守られる神です。そのことを今朝も思い出して、神様の約束を捨てるようなことはしないという誓いを新たにしようではありませんか。
私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。2テモ2:13