2018.04.22
ヨシュア記 3章1-17節
このヨルダン川を渡るという行為は、私たち信仰者に何かを教えています。新しいことを始めること、未知の世界へ足を踏み入れること、障害物をものともしないで、信仰によって立ち向かっていくことなどが、このヨルダン川を渡るという行為を表しています。信仰を持ってこの地上を生きるうえで、いつまでも同じ荒野をぐるぐると回っているだけではいけません。挑戦して、乗り越えて、新しい領域に進んでいかなければならないときがあるのです。
川を渡るために…
1、 きよめを求める。
3:5 「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」
神様の素晴らしい御業を体験するにあたって、ヨシュアが、イスラエルの民に最初に命じたことは、身を清めなさいということでした。彼らは神様を信じていました。しかし彼らが神様の約束された地に入るためにはまだ必要なものがありました。それが清められるということでした。
聖書は明確に、私たちすでに救われた信者にも、さらにきよくなるように。神様を悲しませる罪から離れるように。自分をきよめなさいと何度も勧めています。
今朝、主の前で、きよめを求めましょう。
2、 みことばを聴く。
3:9 「ここに近づき、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」
神様は一見ユニークな方法で、イスラエルにヨルダン川を越えさせようとしています。先頭に祭司たちを立たせて、契約の箱を先頭にして、民たちはその後ろをついてくるようにというのです。これからイスラエルは神さまの言葉の後を行く。神様がくださった教え、戒めから逸れないように進むということではないでしょうか。
今の私たちにとっても、神の言葉であるこの聖書は変わることのない権威と価値のあるものです。神様はこの聖書の言葉を通して語られ、戒められ、教えられ、私たちがそれを尊重し、心から従いたい、守り行ないたいと願うならば、必ず護りと祝福を持って、私たちに臨んでくださるお方です。
御言葉を通して、今が川を渡るときだ、という確信をいただきましょう。
3、行動を起こす。
3:15 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、
彼らは水が止まるのを待って、確認してから渡り始めたのではありません。祭司たちが箱をかついで、水のなかに足を踏み入れたその時に、奇跡が起こったのです。これが信仰であり、川を渡るということだと聖書は教えているのです。
神様は、私たちに本当に信仰があるか、私たちがまず行動を起こして、この足が水に入るのを見ておられます。それを見てから、ご自身の御業、ご自身の栄光をあらわされるのです。
このお方を信頼して、信仰の第一歩を踏み出す、信仰生活の勝利を勝ち取っていこうではありませんか。
聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。 ヘブル12:14