2018.02.11
マタイの福音書16章13-19節
「あなたたちは私を誰だと思っているのか」と尋ねるイエス様に対して、「あなたこそ生ける神の子、キリストです」とペテロは告白しました。そのペテロに対して、「あなたはペテロ(岩)だ。私はこの岩の上に私の教会を建てます」とイエスは宣言されました。
1、教会はキリストのもの。
イエス様は言われました。「私は…私の教会を建てます」。イエス様は「私が天に帰ったあと、自然に教会というものができるだろう」とは言われなかったし、「あなたたちの集まりが、教会と呼ばれるようになるだろう」とも言われませんでした。明確な意思を持って、「この私が、私の教会を建てるのである」と初めてここで宣言されたのです。ですからすべての権威はキリストにあるということができます。その後イエス様は「ハデスの門もそれには打ち勝てません。」と言われました。ハデスとは死者が行くところであり、門とはその死の力の象徴です。「死の力をも打ち破る権威と力を、私が建てる教会は持っているのだ」と宣言されたのです。
「私が建てる」と言われる以上、すべての責任はイエス様が持ってくださいます。人間が建てるものなら、限界があるでしょう。人間の知恵や力にも限りがあり、失敗や罪を犯すことも、ときにはあるでしょう。しかし最終的に教会は、イエス・キリストが責任を取ってくださるところなのです。死の力をも打ち破るご自身の権威と力を行使してくださるところなのです。
私たちは何よりも、このイエス・キリストの権威に進んで従う群れとなりましょう。イエス様の霊が自由に働かれる教会。イエス様の御心通りに、歩んでいく教会。人間的な思いを一切排除して、ただただイエス様を愛し、イエス様に従う教会となってまいりましょう。
2、教会は私たちのもの。
イエス様はご自身をキリストと告白したペテロに対して、私はこのペテロの上に教会を建てると言われました。私たちは、ペテロ個人の上にということではなく、キリストを告白する信仰告白の上に教会が建てられると考えています。大切なことは、キリストを主であると告白する信仰です。この信仰なくしては、イエス様は教会を建てられることはないのです。
キリストの教会にとって、私たち一人ひとりは欠かすことのできない要素です。教会というところは、単に、出席をするとか、献金するとか、日曜日の午前中を一緒に過ごすということ以上に、一人ひとりに、その人にしかできない役割が与えられているのだということをみることができるのです。誰一人いてもいなくても良いという人はいないし、皆が同じことをするのではありません。
40周年を迎えるこの年、リバイバルに備える教会の第一歩を踏み出しましょう。「収穫は多い、しかし働き人が少ない」と主は言われました。収穫の時が迫っています。長い間祈ってきた、家族、友人、地域の人たちが教会に押し寄せるようになります。人生が変えられます。本当の命を見出します。喜びが溢れます。そのような教会になります。信仰を持って、ご一緒にキリストの体である教会を建て上げてまいりましょう。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
1コリント12:27