その157 信仰の実、妥協の実

2018.01.21

創世記21章1-19節

1、具体的なもの(こと)を信じる。

信仰はただ私たちを救う力があるだけではなく、この地上で私たちが神の栄光を表すために行使する偉大な力があります。それはいうなれば創造の信仰です。無から有を生み出す信仰です。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。ヘブル11:6

この信仰とは、ただ天国に行けるという信仰ではなく、私の神は偉大な神だという信仰です。人間にはできないことも神にはできるという信仰です。同じ信仰を持つのならば、大きな信仰、神に喜ばれる信仰を持とうではありませんか。アブラハムは75歳のときに、子どもができるという具体的なことを信じました。そしてその実が結ばれました。私たちも具体的なことを信じて、それが実現することを見ていきましょう。

2、忍耐を持つ。

アブラハムは75歳で約束を受けて、その信仰が実を結んだのは100歳の時でした。実に25年間約束を待ち続けたのです。状況は少しずつよくなっていたのでしょうか。その反対です。もっと早く息子が生まれていれば、何の問題もなかったようなことが次々と起こりました。そのような中で、彼はじっと忍耐し、待ち続けたのです。

聖書にはそのほかにも、忍耐を強いられた多くの信仰者が登場します。中には自分が生きているときには成就しないで、死んだあとに、実現したというものもあります。彼らは忍耐を持って、地上の生涯を生き続けたのです。

私たちも、具体的なことを信じ始めたら、それを持ち続ける忍耐が必要です。私たちの考えるベストのタイミングと、神様のタイミングは違うものです。そして神様のタイミングのほうが、正しく、適切なのです。

3、実を結ぶ一連の行程は、自分の成長の過程であることを覚える。

信仰の実は、ある日何もないところから生み出されるのではなく、自分自身の成長に従って結ばれていくのです。生えたばかりの細い枝は、大きな実を実らせることはできません。枝が実の重さに耐えられないからです。同じように、大きな信仰の実を結びたいのであれば、枝である私たち自身が、太い枝にならなければならないのです。

私はぶどうの木。あなたがたは枝です。わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。ヨハネ15:5

私たちは日々を大切に過ごさなければなりません。日曜の朝だけではなく、毎日の生活の中にイエス様を迎え入れて、日々成長していくことができるように望んでいきましょう。

信仰の妥協は災いを招く

あなたにとってのイサクとは何でしょうか。イシュマエルとは何でしょうか。信仰を選び取ったときに素晴らしい祝福があることを信じてこれからも信仰生活を続けていきましょう。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。ヘブル11:6

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする