その156 召された者への約束 モーセ③

2018.01.14

出エジプト記4章1-17節

モーセは神様の「エジプトへ行ってイスラエルを救え」という命令を恐れて断りました。「彼らは私の言うことを信じないでしょう」。神様はモーセの手のなかにある杖をへびに変えたり、手を病気にしたりすることで、モーセを遣わすのは神様ご自身であることを約束されました。しかしモーセは自信を持てず「私は口が重いのです」と言ってその任務を果たす能力がないと訴えます。神様は「あなたの兄アロンがあなたの代わりに話す」と励まされました。

1、ともににいてくださることを証明される神。

神様は決して、言葉だけで行って来いと命じられる神なのではなく、一緒にいて下さることを明らかにしてくださる方です。それを聖書はしるしと呼んでいます。神様が生きておられること、神様が一緒にいて働いてくださることを、しるしを持って証明してくださる。これが、神様がモーセを遣わされたという確かな証拠でした。神様は私たちの人生の中でも確かなしるしを持って働いてくださるのです。私たちは人生の節目節目で、神様が自分の人生に介入してくださっていることを体験し、「ああ確かに神様は自分をここに導いておられたんだな。ああ確かに神様はこのような私を覚えて、愛して、守ってくださっているのだな」、と確信することができるのです。「あなたの手にあるものは何ですか?他の人から見れば何の変哲もないものかもしれない。価値のないものかもしれない。でも私はそれを通して、私があなたと一緒にいることを現すことができるのですよ」と語りかけてくださっているのです。人よりも多くを持っている必要はありません。人よりも価値のあるものを持っている必要もありません。神様は皆さんの持っているものを通して、ご自身の御業を現すことのできるお方です。この神様だけを見上げて、歩んでいきましょう。

2、必要なものを与えてくださる神。

 モーセはなかなか承知しませんでした。「他の人を遣わしてください。」神様はそれでもあきらめずに、「アロンというモーセの兄を遣わすから、彼に代わりに語ってもらいなさい」と言われたのです。神様が人を選ぶ基準というのは、人間のように容姿や、能力ではないのです。そして例え能力が劣っている部分があったとしても、神様は必要なものはすべて与えてくださるのです。 

私たちも、人の目から見るならば、欠けたところだらけの弱い人間かもしれません。とても神様のお役に立つような能力はないように見えるかもしれません。しかし、神様の目から見るならば、能力だとか、年齢などは関係ないことがこの聖書を見れば分かります。大切なのは神様から召されているかどうかです。もし足りないものがあるのなら、神様が与えてくださいます。お金が足りないならお金を与えてくださいます。能力がないのなら、その能力を神様が与えてくださいます。一人では何もできないなら、神様がふさわしい助け手を与えてくださるのです。神様が望んでおられることは、私たちが恐れないで、逃げないで、「神様、ここにおります。あなたが望まれるのでしたら、どうか私を用いてください。どうか私を遣わしてください。」という素直に反応することのできる信仰なのです。神様が私たちに必要なものをすべて与えられると信じて、ますます熱心に、神様の業に励んでいきましょう。

【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。 Ⅱ歴代 16:9

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