その153 神の手の中の人生 モーセ②

2017.11.19

神の手の中の人生  モーセの生涯②

出エジプト記2章1-25節

この章には、モーセの出生の様子と、それから40年後にエジプトを出て、荒野で40年過ごすことになる経緯がいっきに描かれています。大きく分けるとこの章は2つに分けられます。一つはモーセがどういう経緯で40歳になるまでをエジプト王の家族として過ごしたか。二つ目はどうしてそれまでのキャリアを捨てて、荒野で過ごさなければならなかったかです。

1、モーセの生涯はすべて神の手の中にあった

 表面だけを見るならば、彼の生涯は、運命に翻弄されて、自分の思っても見なかった方向に行かざるを得なくなっているように見えます。しかし視点を神様のほうに変えるならば、モーセの生涯は全く違ったものに見えます。例えば神様はパロの娘を通してモーセの命を守られました。もしこれが普通のエジプト人に見つけられたのなら、すぐさま殺されていたことでしょう。言い換えればパロの家族に引き取られることが、モーセにとって最も安全な行き先だったわけです。モーセは当時の世界で最も高い教育を受けることができました。その教育の中には、政治のこと、行政のこと、あるいは軍事のことなどが含まれていたことでしょう。それらの教育一つ一つが、後のモーセの大きな財産になったに違いありません。彼が通ってきたすべての経験が後のモーセを助ける財産になったのです。   

私たち一人一人も、偶然に生まれて、偶然に左右されて、人生をあっちへいったり、こっちへ行ったりしているように思えるかもしれませんが、見方を変えて、神様の視点で自分の人生を振り返り、一つ一つの意味を考えるとき、全く別の人生が見えてくるかもしれません。人間の目に良いことに見えることも、悪いことに見えることも、神様の目から見たら同じ神様のご計画が進んでいることに過ぎないのかもしれません。神様の視点で自分の人生を見て生きましょう。

2、モーセは砕かれる体験が必要だった。

 モーセは自分の力で同胞のへブル人を助けようとしました。ところが、彼は喜んで受け入れられるどころか、同じ同胞のへブル人に拒絶されてしまうのです。このことはモーセのプライド、自信、人生観を砕きました。彼は行き場もなくなり、王の目を恐れて荒野へと逃げ出していったのです。彼にとっては悲惨な体験だったでしょうが、後で振り返るならば、これもモーセの人格を磨く上で大切なレッスンだったと言えます。この後40年かかるわけですが、モーセは次に自分の民の元へ帰るときには、神様にしか頼ることができないという謙遜な人格者へと変えられていたわけです。

 聖書を見ますと、神様は人を用いる時、まず必ずその人を砕きます。イエスの弟子たちも、パウロも皆一度は粉々に砕かれ、その後に神様に用いられる器へと成長しました。

このモーセやパウロや弟子たちの砕かれた体験から、私たちの人生を考えてみましょう。人は飛躍しようとするとき、必ず自分自身の弱さと向き合わなければならなくなるのです。神様のために偉大な働きをしたいのであれば、神様から受ける偉大な試練を、自分がステップアップする良いチャンスと考えて、従っていきましょう。神様は必ず、すべてのことを良きに変えてくださると信じましょう。

人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。箴言20:24

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