2017.11.12
ヨハネの福音書11章20-44節
イエスがこの地上でなさった数多くの奇跡は、人を驚かせるために起こしたのでもないし、ましてや人気者になりたかったからでもありません。このしるしを見た者、聞いた者にして欲しいことがあったのです。
イエスの望みとは何か? 私たちが信じること
イエスの望みは
1、私たちが、イエス・キリストは真のいのちであると信じること
イエス様はここで、私は命を持っていると言ったのではなく、私が命だと言われます。この地上のわたしたちは皆、限定された命を持ち、その寿命の範囲で、限定された生き方をする以外にありません。聖書はなぜならそれは、私たち人間には神様から離れ、神様に逆らう罪という性質があるからだと教えています。肉体の死よりももっと恐ろしいのは、永遠に神様から失われるという霊の死です。この霊の命、真の命を人は何としても得なければならないのだと聖書は教えているのです。イエス・キリストは、神の子でありながら、人間としてこの地に来られ、ご自身を信じる者には、惜しむことなく、真の命を分け与えようとされているのです。よみがえりの主、命の主、イエス・キリストを信じるならば、世界中のどんな人も、死んでも生きる。生きていて信じるならば、死ぬことがない。これがイエス・キリストがこの地上に来られた目的であり、このことを信じることが、私たちに対する彼の望みなのです。
2、私たちが行動すること
イエス様がラザロの墓の前で言ったことは、驚くべき言葉でした。「その(墓の入り口にある)石を取り除けなさい。39節」と言うのです。ここでイエス様はマルタやマリヤに具体的なチャレンジをしています。「私を本当に信じるのなら、行動しなさい」ということです。もし、ここで、彼女たちがそれを拒み、何のアクションも起こさなければ、これから起こる偉大な御業を体験することはできませんでした。彼らの人生には何も起こらなかったでしょう。しかし墓の石を取り除けるという具体的な行動を起こした後で、彼らは大きな御業を見、大きな喜びを得ることができたのです。
イエス様は今朝も、私たち一人一人に、「その石を取り除けなさい」と語りかけておられるのではないでしょうか。その石とは、問題、疑い、躊躇、神様より世を愛する心かもしれません。それを取り除けなさいと言っておられるのであります。その石を取り除けるのはイエス様の仕事ではない。私たち人間が決断するべき行動なのだとイエス様は教えておられるのです。信じるのなら、行動を起こす。従おうとすることを邪魔する誘惑や、問題をかなぐり捨てて、石を動かし、後は、イエス様に解決してもらおうではありませんか。イエス様は私たち一人一人の決断と行動を待っておられるのです。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。ヨハネ11:40