2017.10.22
創世記3章1-13節
キリスト教ではよく「人間は皆罪人」などと言いますが、多くの日本人には分かりにくいかもしれません。「自分は一度も犯罪を犯していない。まあどちらかと言えば善良な市民だ。どうして自分も罪人などと言うのか。」そう考えられても当たり前だと思います。
この聖書の箇所は、人間が初めて罪を犯した場面ですが、このお話が、私たち人間の苦しみや不幸の原因のようなものが描かれている大変奥の深いお話であるということを見ていきましょう。
私たちの苦しみ、不幸の原因は・・・
1、 互いに裁き合うことから来る。
神様が食べてはならないと言われたのは「善悪の知識の木の実」でした。「善いことと悪いことが分かることは良いことではないか」。そう思います。でもそれは自分を基準として、善悪を判断すること。つまり自分中心で周りの人を裁くようになる。自分は善で他人を悪とする。これが人間の根本的な苦しみ、不幸につながるのではないかと言うことなのです。考えてみれば、私たちの人間関係の悩みはすべてここから来るのではないでしょうか。
2、 コンプレックス(恥の意識)を持つようになる。
3:7 ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
木の実を食べた2人はどうなったでしょうか。目が開かれて自分たちが裸であることに気がついた。これも一見悪いことのようにも思えません。でも裸であることに気がついたというのは、自分にないものに気づき、自分自身に対して満足できなくなったことを意味します。自分は何てダメな人間だろうというコンプレックスに苦しめられるようになったことを表しているのではないでしょうか。そして自分を取り繕って、人の目をごまかして、生きていかなければならなくなったということでしょう。
3、恐れを持つようになる。
3:10 彼らは恐れて、隠れた。
いつもなら喜んで神様の前に出るところを、神様が怖い。自分の本当の姿を見られたくないと思うようになりました。これも多くの人の苦しみの根本にあるのではないでしょうか。
4、自分を正当化する。
3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
「自分のせいじゃない。あいつが悪いんです。」特に12節の男の言葉は、女のせいにすると同時に「神様あなたにも責任があるのではないですか」、と言っているようですね。素直に自分が悪かったと認めたくない。自分を正当化して、何とか他人のせいにしたい。これも人間の苦しみの原因ではないでしょうか。
5、神から離れる。
この後2人はエデンの園から追い出され、自力で生きなければならなくなります。本当の苦しみは神様から離れて生きていかなくてはならなくなったということです。
私たちは心の底に、あの2人と同じような問題があるために、苦しみ、傷つき、恐れ、孤独に苦しんでいます。その状態を罪と呼んでいます。しかし神様は私たちを捜してくださっています。
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
創世記3:9