その143 分からなくても

2017.07.30

マルコの福音書4章26-29節

このイエスのたとえは、マルコによる福音書だけに記されているものです。

1、分からないことがある。

 4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。

農夫たちは種を蒔くことはしますが、そこから自分の力で芽を出させることはできません。それがいつ、どのようにして起こるかは分からないのです。同じように私たちも、神様のために福音の種を蒔き、何かを始めたとしても、それがいつ、どのような形で実を結ぶものになるかは分かりません。「夜は寝て、朝は起きる」という当たり前のことをして、「そうこうしているうちに」神様の業が起こり始めるのです。このイエスの言葉は、私たちには神様のなさることをすべて知ることはできず、分からないことがあることを教えています。二つのことが必要です。一つは神様に主権があるということを認めること。そして神様に委ねるということです。私たちの思いをはるかに超えた素晴らしいことをしてくださる神さまに期待しましょう。

2、順序がある。

 4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。

 神様の主権によってなる実ですが、すぐにできるわけではありません。イエスは苗、穂、そして実、というように、物事には順序があり、その順序にしたがって、神様の計画が実現すると教えられています。私たちはともすると、結果だけを早くみたがり、神様が進めておられるプロセスを無視したり、気づかなかったりするときがあります。しかし神様は確実にご自身の計画を進めておられるのです。

 ここでも二つのことを教えられます。一つは物事には「時間がかかる」ということ。そして神様の「秩序」があるということです。神様の国は気づかないうちに、と同時に時間をかけて順序だててすすめられます。私たちに求められるのは信仰です。

3.ときが来る。

 4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」

 いつ、どのようにして結ばれるか分からない実ですが、収穫の時は必ず来ます。神様が必ずそれを成し遂げてくださるのです。私たちに出来ること、いやしなければならないことは何でしょうか?それは種を蒔くこと、そして収穫のときに働くことです。芽を出させ、成長させ、実らせてくださるのは神様です。イエス様は十字架の御業によって、ご自身の命そのものを種とされました。この種には豊かな命があります。人の人生を変え、世界を変える力を持った命です。その種を蒔くならば、いつか必ず芽を出し、成長します。

 私たちの生活のなかで、この種を蒔く者となりましょう。福音を伝え、神様のために何かを始めましょう。目に見えることに一喜一憂することなく、神のときを信じて、たゆまず歩んでいきましょう。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。      ヨハネ 12:24

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