その138 うるさくてしかたがないから

2017.05.14

ルカの福音書18章1-8節

イエスは「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために」このたとえを使われました。あるやもめが裁判官に相手を裁いて自分を守ってくれるよう訴えます。この裁判官は決して正しい人ではなく、神を信じず、人を人とも思わぬ悪い人でしたが、この女性がひっきりなしにやってきて訴えるので、「うるさくてしかたがないから」裁判をしてあげることにしました。イエスはこの裁判官の言っていることを聞きなさいと言うのです。

1、神様は聞いてくださる。

 18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。

このたとえを通して、イエスは神様というお方は「不正な裁判官のように人を人とも思わない方」と教えたかったのでしょうか?勿論そうではありません。このような悪い人格の裁判官でさえ、しつこく訴えれば聴こうと思うのだから、ましてや天の父なる神様が、あなたがたの祈りを聞かないわけがないでしょう。だから神様を信頼して祈りなさいと教えられたのです。私たちは、つい神様以外のものを信じ、頼ってしまいます。しかし本当に私たちを護ってくださる方は神様だけなのです。私たちの信じる神様は良いお方で、良いことをしてくださる神さまです。この神様を信頼して祈りましょう。

2、とにかく祈ろう。

 18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。

 このたとえは明らかに、私たちに単に「祈る」ことだけではなく、「祈り続ける」ことを教えています。目に見える状況がどうであったとしても、あきらめないで祈り続ける態度を、神様は望んでおられるのです。「もしよろしければ聞いてください」という遠慮がちな態度ではなく、この困ったやもめのように「何としてでも聞いて欲しい。叶えて欲しい」という必死な態度を継続することが大切だということでしょう。「どうせ無理だろう」とあきらめたり、ためらって何もしない信仰ではなく、勇気を出して信仰を行使する生き方を目指しましょう。そこに私たちの人生が動き出す鍵があります。

3.主はそれを信仰と呼ばれる。

 18:8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

 この最後にイエスがポツリと言われた言葉に注目しましょう。主は世の終わりの時代に、このやもめのように、熱心に祈り、訴え続けようとする信仰者が地上にどれだけいるだろうかと心配されています。今は不安の時代。心配の時代です。私たちの祈りを止め、失望し、落ち込ませるような出来事が絶えない時代です。しかし私たちは勇気を持ちましょう。失望しないで、祈り続けましょう。私たちのために正しい裁きをしてくださる方は、神様しかおられません。この神様に私たちの信仰を表しましょう。

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。  1ペテロ4:7

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