その135 イエスの復活

2017.04.17

ルカの福音書24章1-9節

キリスト教にとって、イエスの十字架と復活というのは、車の両輪のようなもので、どちらか一方だけでは成り立ちません。十字架を通ってこその復活ですし、復活があるからこその十字架であると言えます。イエス・キリストの復活にはどのような意味があるのでしょうか?

1、キリストの復活は彼が神であることを証明している。

 古今東西多くの人が、よみがえりの命を夢見ました。「死にたくない。いつまでも生きていたい。」そう願って、ありとあらゆる努力をした英雄もいました。しかし、どんなに大きな権力を持っていても、莫大な富を持っていても、人間は死の前では無力な存在にすぎません。聖書によりますと、イエス・キリストは十字架にかけられるはるか以前から、ご自身が十字架にかけられることと、そして死んだあとによみがえることを予告しておられたのです。

24:7 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」

24:8 女たちはイエスのみことばを思い出した。

どのような偉大な宗教家も、自分の復活について預言した者はいません。そして復活した者もいません。数ある宗教の中でイエス・キリストだけが、ご自分の死と復活を予告され、その通りになったのです。これは、彼が単なる良い教えを説いた宗教家というのではなく、まさしく神の御子であり、死の力をも打ち破る、力と権威を持っておられることの証です。

2、キリストの復活は彼が今も生きて働いていることを表している。

「一度はよみがえったけど、結局はまた死んでしまった」のであれば、今の私たちとは何の関係もなくなるでしょう。しかし聖書によると、イエス・キリストはその後40日間弟子たちと過ごされ、数々のことを教え、多くの人の見ている前で天に昇られました。聖霊という助けぬしを送られ、また再びこの地上に帰って来られることを約束していかれたのです。もし昔いて、今はいない人の宗教であれば、2000年も続いて、しかも未だに世界で成長し続けるはずがありません。何故これほど科学が発達した現代でも、人々は、イエス・キリストに引き付けられるのでしょうか。

今も生きて、働いておられる神、それがイエス・キリストです。

3、キリストの復活は私たちの復活をも約束している。

ロマ4:24私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

4:25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

聖書は明確に、イエス・キリストが死の力を打ち破って、よみがえったのは、ご自身だけではなく、彼を信じる者すべてが、よみがえりの命を持つためであると証言しています。キリストを信じる者は、かならず永遠の命を持つのです。もう死を恐れることはありません。キリストの復活を信じて、永遠の命を自分のものとしてください。

今週の暗証聖句

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。1コリント15:20