2016.09.04
マタイの福音書13章31-32節
イエスは天の国をからし種のたとえで教えられました。からし種は非常に小さな種なのですが、成長すると大きくなり、鳥が巣を作るほどになるというのです。からし種とは神(聖書)の言葉、あるいは信仰ともとることができます。また木とは勿論天(神)の国ですが、地上の教会というふうにも考えることができるでしょう。ここでイエスは私たちの人生において、大事なことを見極めることの大切さを教えています。
1、いのちが大事。
イエスはここでからし種は「どんな種よりも小さい」けれども、その大きさは関係ないのだと言っています。大事なことは、その種にはいのちがあるかどうかということです。いのちがあるなら、最初の大きさはどうであっても成長するのです。
神のことばは生きていて、力がある。へブル4:12
と書かれています。私たち人間の心に神の言葉が届くとき、最初は目に見えないほど小さく、とるに足らないように思われるかもしれませんが、永遠のいのちの力を持つその言葉は、生きていて力を持ち、やがて大きく成長するのです。
私たちは日常生活のなかで、目に見えるもの、あるいは人からどう見えるかということに心が向き、そこに本当のいのちがあるかどうかを見過ごしてしまうことがあります。私たちが必死で追い求めているものにはいのちがあるでしょうか?私たちを悩ませる問題には、私たちの永遠のいのちを左右する力があるでしょうか?
私たちに永遠のいのちを与える、力強い神の言葉を大事にしていきましょう。
2、終わりが大事。
からし種は一夜で鳥が宿るような木になるわけではありません。どんなことでもそうですが、成長には時間がかかるものです。このイエスのたとえは、種そのものの大きさだけでなく、それが成長してゆく過程の、目に見える状態にも一喜一憂してはならないと教えているように思えます。神の言葉にはいのちがあるのですから、たとえ今日、明日に、目を見張るようなことが起こらないとしても、すべてを支配しておられる神を信頼し続けるならば、必ず神の最善のときに、豊かな実を結ぶ大木に成長するのです。
今目に見える状態がどのようなものであっても、神の言葉の約束を信じ続けることが大切です。私たちの人生のなかで、そしてこの世界で、最も必要とされているのは、永遠に変わることのない神の言葉なのです。
3.キリストとのつながりが大事。
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。ヨハネ1:1 この言葉はイエス・キリストを表す言葉ですが、キリストこそが、神の言葉をあらわされたお方です。十字架にかけられる姿はまさに、この世界のなかでは小さく、弱々しいものでしたが、このお方にこそいのちがあり、多くの人を生かす力があるのです。
キリストとのつながりをしっかりと持ちましょう。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 ヨハネ 12:24