2016.06.05
創世記37章31-36節; 46章28-30節
故郷に戻ったヤコブに最大の悲しみがやってきます。最も愛していた息子のヨセフがいなくなってしまったのです。彼は息子が死んでしまったと思い込んでしまいました。それから20年以上後になって、彼はヨセフが生きていることを知り、エジプトで再会することになったのです。
1、子を失う父の 悲しみ。
愛する息子を失ったヤコブの悲しみは想像もつかないほど大きなものだったことでしょう。神はその彼の悲しみを後に喜びに変えてくださいました。神に信頼する者は、必ず神が答をくださり、困難を感謝で終わらせることができるのです。
実は創世記のなかでは、子どもを失うというモティーフが繰り返されています。それが最初に現れるのがアダムとエバの息子たちです。神との約束を破ったことによってエデンの園から追い出された夫婦に生まれたカインとアベルですが、カインがアベルを殺すことによって、この夫婦は二人の息子を同時に失うという経験をしてしまいます。罪によって始まった人間の苦しみの始まりです。
しかしその裏で表されているのは、人間を失った神ご自身の悲しみです。永遠に一緒に過ごすために創造した人間との関係が罪によって壊されてしまった悲しみを、神ご自身が持っておられるのです。
2、子を取り戻す父の喜び。
死んでいたと思っていたヨセフとの再会はヤコブにとって信じられないほどの大きな喜びだったことでしょう。彼は「もう今。私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。創46:30」と告白しています。 そしてこの喜びは神ご自身の喜びをも表しています。ルカの福音書に記されている「放蕩息子」のたとえで父は 「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』ルカ15:24 と言っています。神様は死んだ状態にある人間が生き返ること、すなわち、失われた人間が神のもとに帰り、その関係が回復され、永遠のいのちを取り戻すことを願い、ずっと待っていてくださっているのです。そしてその喜びがいかに大きなものであるかを、創世記全体を通して、教えておられます。
3、神は御子を与えた。
この失くした息子を取り戻すというテーマの最大の出来事は、アブラハムがモリヤの山で息子イサクを捧げる場面です。彼はたとえイサクが死んでも、神が必ずよみがえらせてくださるという信仰を持っていました。このことを通して、神がどのようにして失われた人間を取り戻すかという計画を明らかにされています。 神が失った人間を取り戻すためになさったことは、イエス・キリストという御子をこの地に送り、十字架の上で死なせ、葬らせ、よみがえらせることでした。「失われた神の息子が取り戻された、すなわちよみがえった」と信じるなら、失われている私たち自身が新しい命を与えられて、神のもとへ帰ることができるのです。この神の偉大な計画に感謝し、御子イエスを信じていきましょう。
彼(アブラハム)は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。 ヘブル11:19