2016.05.22
ヨハネの福音書16章7-15節
「我は聖霊を信ず」(使徒信条)
1、聖霊は神である。
キリストは十字架に架られる前から、復活の後に至るまで、繰り返し、ご自身が天に帰られた後に、聖霊という神が助け主として来られるという予告を弟子たちにしました。ペンテコステの日は、聖霊が弟子たちの上に降り、世界最初の教会が誕生した記念日です。父なる神、子なる神、キリスト。そしてこの聖霊なる神が、それぞれの位格を持ちながらも、一人の神として存在しておられるというのがキリスト教の中心的教えです。聖霊なる神は、知性を持たれ、感情を持たれる人格的な神様です。この聖霊に喜ばれる教会。聖霊が訪れてくださる教会。聖霊が満ちてくださる教会。聖霊が働いてくださる教会であることが私たちの願いです。
イエス様が約束されたもう1人の助け主を信じて、認めて、求めるべきです。聖霊という神を信じましょう。
2、聖霊は私たちに内住される。
内住とは読んで字のごとく、うちに住んでくださる。生きてくださるということです。私たちがイエス様を信じて、告白した瞬間。イエス様の霊である聖霊が、私たちのうちに住んでくださるのです。
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。1コリント3:16
聖霊は私たちの中にあっていつも一緒に歩んでくださるのです。私たちが一人ぼっちのように感じる時にも、決して離れず、見捨てることはありません。悪魔は何とかして私たちを騙し、私たちが神から離れ、見捨てられた存在であると思い込ませようとします。しかしどうか忘れないでください。
神の霊は今も私たちのうちにいてくださるのです。
3、聖霊は私たちに力を与える。
神様は私たちが弱い生き物であることをよくご存知です。ですから聖霊なる神は、私たちに力を与えてくださるのです。具体的にどのような力でしょうか。
① 神を知る力
② 祈る力
③ 証の力
大切なことは、聖霊を求めて祈ることです。
「クリスチャンではあるけれど・・・」喜びが感じられない。自由が感じられない。何よりも私の信仰には力がない。そのような方は特にご一緒に祈りましょう。イエス様が約束してくださった、生ける水の川が心の奥底からあふれ出るような体験を求めようではありませんか。そうするならば、私たちの内側から、喜びが溢れ、感謝が溢れ、自由とされ、そしてどんなに大きな苦しみがやってきたのとしても、力強い信仰生活をおくることができるようになります。聖霊を求めましょう。注ぎを受けましょう。満たしを願って祈りましょう。
とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。 ルカ11:13