その101 「神のなさること」

2016.04.17

マタイの福音書13章47-50節

 このたとえは、マタイの福音書13章に記されている、天の御国について教えている7つのたとえ話の最後のものです。漁をする人が、地引網によって多くの魚を取り、岸に引き上げた後で、良いものと悪いものを選別し、悪いものは捨ててしまいます。

このたとえ話で使われる登場人物(物)をこのように解釈することができるでしょう。

漁をする人 = 神様、網 = 教会、海 = 全世界、魚 = 人間

さあこのたとえ話が教えていることを考えていきましょう。

神様は…

1、教会を宣教に用いる。

 神様は教会という網を用いて、魚、つまり人々を救い上げたいと望んでおられます。ここには「あらゆる種類の魚」と書かれています。ユダヤ人も異邦人もなく、国籍、文化、言語、年齢、性別などあらゆる違いを乗り越えて、教会は世界に出ていって福音を伝えるために存在しているのです。

 私たちの教会が多くの人を救う網として用いられるように願っていきましょう。私たちが置かれている地域を考えることは勿論ですが、海とは「全世界」のことです。常に世界的な視野で宣教を考え、自分たちにできることを喜んでする教会となりましょう。

2、宣教の業を終えるときがくる。

 この宣教の業は永遠に続くわけではありません。いつか網がいっぱいになり、岸に引き上げられるとき、漁が終わってしまうのです。それがいつなのかは誰も分かりません。神さまがなさることです。漁がおわった後では、引き上げられる魚はありません。それと同じように、終わりの日には教会(クリスチャン)が引き上げられ、聖霊の働きも止んでしまいます。私たちの使命は、この漁が終わるまでに、一人でも多くの人にイエスさまのなされた十字架と復活の業を伝えることです。

3、最後の選別(裁き)をなさる。

 イエスさまは、網の中に入った魚が全て良いものなのではなく、岸で選別され、悪いものは捨てられると警告しています。このたとえ話は、24節以降の「毒麦」のたとえと同じテーマといえます。畑の中には悪い者が蒔いた毒麦も混じっていますが、主は収穫の時までは放って置かれ、最後に毒麦だけを集めて火で焼くと言われました。教会の中に「偽物」が入り込んでくることは避けては通れないということでしょう。「主よ」と叫ぶ者の中には偽クリスチャンがいて、最後の日には主に仕分けられ、永遠の火の中に投げ込まれてしまうのです。単なる見せかけではなく、信仰によってしっかりと神様との絆を持つことが大切であるという私たちに対する警告であると同時に、「偽キリスト」「偽預言者」「偽教師」がはびこる時代にも、しっかりと耐えるようにという励ましでもあります。

終わりの世にあって、私たちの救い主、キリストだけを見上げて、歩んでいきましょう。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。                        マタイ24:14

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