その100 「大丈夫」

2016.04.10

ローマ人への手紙8章9-11節

 キリスト教の「救い」とは神との関係の回復です。では神との関係が回復されると、具体的に私たちはどうなるのでしょうか?一言で言うなら「大丈夫」になります。

1、生きても大丈夫。

それまでどのような人生を歩んでいたとしても、創造主である神との関係が回復された人、つまり神の元に帰ることができた人はその後の人生が大丈夫になります。

①  神と一緒に生きるから。

 救いとは心の問題ではなく、霊の問題です。私たちがキリストを 信じ、告白した瞬間、キリストの霊である聖霊が私たちのうちに内住をはじめてくださいます。そしてどんなときにも離れることなく、一緒に生きてくださるのです。

②  神の家族の一員となるから。

キリストはこの地上に教会を建ててくださいました。救われた者は皆、このキリストの体である教会のメンバーとなります。そのなかで私たちは、互いに愛し合い、祈り合い、成長していきます。

③  神が働かれるのを体験できるから。

一緒に生きてくださる神は、私たちの生活のなかで、具体的に働いてくださいます。私たちの霊を回復してくださる聖霊は、心と肉体にも影響を与えられます。

④ 苦しみにも意味があることが分かるから。

神によって選ばれ、救われた人の人生は、苦しみでさえ意味あることに変えられます。クリスチャンの人生は、たとえ苦しみ、問題があったとしても、大丈夫になるのです。

2、死んでも大丈夫。

私たちの肉体はいつかは滅びます。誰でもこの地上での生活を終えるときが来ます。しかしキリストを信じる私たちは大丈夫です。

①  神と一緒に生きるから。

私たちの霊とともにある聖霊は、肉体から離れた私たちの霊と魂を父なる神のもとへと連れていってくださいます。死は私たちにとって「終わり」ではなく、永遠への「入口」となるのです。

②  再会の希望が与えられるから。

私たちはそこでキリストと顔と顔を合わせて語り合うことができるばかりでなく、信仰を持って先に天に帰られた方々とも再会する希望を持っています。

③ 永遠の肉体が与えられるから。

 私たちは、来るべき新しい天と地において、今度は永遠に朽ちることのない肉体を持って復活することができます。そこには病も老いも、死もありません。キリストがすべてに勝利されたからです。

3、  信仰が鍵。

この「大丈夫」を手にするために、必要なことは一つだけです。

 何かの良い行いをする必要はありません。難しい修行をする必要もありません。キリストが私たちの罪のために十字架に架ってくださったこと。そして三日目に死の力を打ち破ってよみがえられたことを信じますと告白して祈るだけで良いのです。そうすれば、この世界のどんな人も、生きている間、そして死んだ後も、永遠の大丈夫を手に入れることができるのです。

そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。1ヨハネ 5:11-12

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