2016.03.13
ルカの福音書14章7-11節
イエスは宴席で上座に座りたがる人たちを見て、招かれたら末席に座るようにと教えられます。招いた主人に上座から下座に移動するよう言われ、恥ずかしい思いをするかもしれないからです。また最初から下座に座れば、皆の前で上座に移動するように頼まれ皆の前で面目を施すことになるかもしれません。
このたとえは、単なる倫理・道徳の話ではないし、いわゆる処世術でもありません。人間の生きざま、そして究極的には救われる道が教えられているのです。
イエスが教える真の謙遜を学びましょう。
1、自分を他人とを比べない。
救われる道とは大きく二つに分けられます。一つはこの地上での生活において本当の意味で自由になれること。もう一つはあの世、天国に行けることです。まずこの世で自由になるためには、自分と人を比べることをやめなければなりません。宴会で上座を好むとは、人と自分を比べて自分を上に置いて誇る態度です。私たちは実際に行動に表さなくても、心のなかで同じことをして、人と自分を比べて優越感を持ったり、あるいは逆に劣等感を持ったりすることもあるでしょう。私たち一人ひとりをユニークに創られた神様は、その両方ともお嫌いになります。何故ならそれは神様の主権にも反抗する傲慢な態度だからです。そして同時に、人間が自分自身をも縛り付ける、苦しみの道だからです。このような生き方を方向転換しなければ、人はこの地上での平安を見いだせず、神様にも受け入れられません。
2、神に評価をお任せする。
招いた客を上座に座らせたり、下座に座らせたりする主人とは誰を指しているでしょうか。そうです。神様です。神様だけが人を正当に評価してくださいます。私たち人間は人との比較だけで自分を評価し、少しでも自分を大きく見せ、高いところに立とうとします。また人の目を恐れてしまい、不自由に生きる人もいます。しかしそれは自分を苦しめることにしかなりません。
すべてをご存知の神様に委ねましょう。私たちが真に恐れなければならないのは神様の目です。
3、謙遜が鍵。
自分で自分は大丈夫だと思ったらアウト。自分には資格がないと思ったらセーフになるというのがキリスト教信仰です。鍵となるのは神様の前における謙り、謙遜です。「自分は小さな者だ。神様の前に立つのにふさわしくない者だ」と思って、末席に座っているような人が神様から声をかけられ前に出るように言われるのです。
真の謙遜を示してくださったのがイエスです。彼は御子であるのに、その位を捨てて、人となってくださいました。そして十字架の道まで歩まれたのです。このキリストの示された道をどこまでも歩むのがキリスト者の道です。
心のなかの小さな比べ合いをやめ、自由になりましょう。そして神様の大きな愛と恵みを受け取っていきましょう。
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。 ピリピ2:3