その84 「天からのはしご」

2015.11.08

創世記28章10-22節

 兄の怒りを買ったヤコブは家にとどまることができず、故郷を離れ、親戚のラバンを頼って旅に出かけます。途中野宿をしなければならなくなりますが、夢に神が表れ彼を励ましてくださいました。翌朝目覚めたヤコブは、そこに祭壇を築き、その場所をベテルと名付けました。

1、神はそばにおられる。

 このときのヤコブの心境を想像するに、とても孤独で不安であっただろうと思われます。兄や父を騙してでも、自分の欲しいものを手に入れたいと思う野心家であり、自分の知恵に自信も持っていたでしょうが、今ではみじめに石を枕に野宿をしなければならず、すっかり自信を失くし、自分のしたことに対する後悔の思いもあったかもしれません。行く先で受け入れられるかどうか、そして再び故郷に帰って来られるかどうか、将来が何も見えない状態だったでしょう。しかしそのようなところに、神は訪れてくださったのです。いや、もともと居てくださったことに彼は気づいたのです。

創世記28:16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに【主】がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。

私たちの人生にもこのような状況が起こることがあります。一人ぼっちのような気がして、誰にも助けてもらえず、将来になんの希望も持てないような不安に陥ることがあるかもしれません。しかし自分が気が付かないだけで神はずっと一緒にいてくださるのです。

2、神は一方的に恵みをくださる。

 ヤコブは神から天からのはしごの夢を見せられ、彼の子孫が増えること、それを通してすべての民族が祝福されること、彼がどこに行っても神が一緒におられること、護ってくださること、再び帰ってこられることなどを約束していただきました。このことはヤコブ自身の人柄や行いや努力などとは一切関係ありませんでした。一方的な神の選びであり、一方的な神からの恵みであったのです。

 私たちにとっても神の基準は同じです。私たちに選ばれる理由などないのです。一方的な神の選びによって導かれ、一方的に祝福を約束してくださっています。この途方もない大きな恵みを感謝しましょう。

3、神のために生きる。

 ヤコブは「この場所はおそれおおいところだ」、と石を積んで祭壇としました。そしてそこをベテル、神の家と名づけ、そして最後に、「神様が守ってくださるなら、私は神様がくださる10分の1を必ず神様に捧げます」、と誓願を立てました。ここに、私たちに救いの手を差し伸べ、またいつも共にいてくださる神様に対して、私たちがとるべき態度というものが描かれています。救われるためではなく、救われた喜びのゆえに、また神の恐れ多い偉大さのゆえに、私たちは神を礼拝し、捧げものをします。それは「神のために生きる」という生きざまの決意と表明です。 神と私たちの関係は一方通行ではありません。神は私たちと相互に応答し合うような関係を望んでおられます。すぐに大きなことをするというのではなく、一歩一歩、神の恵みに応えてゆく生活を送っていきましょう。

わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。   1サムエル2:30

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