2015.10.04
2テモテ4章7-8節
自分は生きているのか、それとも生かされているのか。この考えの違いは、人生に大きな違いをもたらします。「自分は生きているのではない。神様に生かされているのだ。」そう思って生きる人生は、楽しくて、疲れ知らずです。心の底から湧き上がる喜びがあるからです。その反対に、自分にだけ焦点をあてて、自分のために、自分の力で、自分ひとりで生きていこうとする人生は、疲れるのです。
使命という字は命を使うと書きますが、キリストを信じて、新しい命をいただいた人は、神様に命を使ってもらってこそ、本当の幸せ、生きがいを得ることができるのです。このことを覚えて、神様に使われて生きることを決心しましょう。
神に使われる人生とは…
1、使命に生きる人生。
パウロは「走るべき道のりを走り終え」と書いています。彼は自分がどこを走っているのか知っていました。その道を、自分が選んだ道なのではなく、神様が自分に与えてくださった道だということを知っていたのです。ではどうやってこれが自分の使命だということが分かるのでしょうか。
使命というのは、幸福と同じで、探し回るものではありません。「今自分の置かれたところで、自分のやるべきことをする。」そうしている中で自覚してゆくものなのではないでしょうか。もう少し言うと、頼まれごとをするということです。不思議なことに、イエス様を信じて、自分中心の生き方から神様中心の生き方に変えようとすると、だんだん人からものを頼まれるようになります。そして愚痴や不平不満を減らして、すべてのことを感謝して生きるようになると、その頼まれ事がどんどん増えていきます。そこに使命感が生まれてくるのです。
2、神と生きる人生。
あなたがひとたび、イエス様を信じて、心に迎え入れる決心をしたのであれば、イエス様の霊、すなわち聖霊は、あなたの体をご自身の神殿とされ、あなたと一体となって生きられるのです。あなたがどこに行こうと、キリストの霊はともにおられるのです。
そのパウロのうちにおられた同じ霊が、私たち一人ひとりのうちにもおられるということをどうか忘れないでください。
3、ゴールから目を離さない。
永遠の報いを期待しましょう。パウロは「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」と告白しています。彼の目には天国で、イエス様にまみえ、「よくやった。良い忠実な僕だ」と言われる瞬間しか見えなかった。これ以上に欲しいもの、大切なものはないと信じていたのです。
聖書は人生をこのように見なさいと教えている。
① 人生は旅のようなもの。 ② 人生は預かりもの。
私たちの生きる本当の目的は、人と比べて多くのものを持つことでも、高いところに立つことでもありません。生きている間に、どう神様に使っていただくかであります。それが本当の幸福であり、信仰の勝利です。
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』 マタイ 25:23