2015.09.06
ピリピ人への手紙 1章20−21節ピリピ人への手紙 1章20−21節
パウロは獄中のなかでさえ、自分の命の長さよりも、キリストの栄光が現れることを望みました。「自分が歩んだその人生の足あとが、キリストを表すものであって欲しい。あああの人はキリストと一緒に生きてきた」と、誰もが認めるような足跡を残したいと願ったのです。私たちも良いクリスチャンとしての足あとを残しましょう。私たちの後に続く人たちが、しっかりと私たちの足あとを見て、迷うことなく、歩むことができるように、進んでいこうではありませんか。
1、 イエスと歩く。
私たちの足あとには、誰と歩いたかが表されます。どのような服装だったのか。またどのような歩き方だったのかは、足あとには関係がありません。それと同じように、私たちの家に聖書が置いてあるだとか。日曜日に教会に行っているとか、勿論それも大切なことですが、それだけでは、イエス様と生きていることにはならないのです。むしろ日曜日だけではなく、毎日の生活が大切なのではないでしょうか。
私たちがわざわざ出かけていかなくても、何か特別なことをしなくても、イエス様はいつも私たちのそばにいて下さっているのです。そばにいるだけではありません。私たちの苦しみ、悲しみをすべてご存知で、私にゆだねなさい。そのあなたの重荷を全部代わりに背負ってあげようと言ってくださっているのです。
2、 今日を大切にする。
私たちクリスチャンにとって大切なことは、何を手に入れたか、何を達成したかではなく、どのように生きたのかということです。それはある日ある時のことではなく、今日という日を大切に生きるということです。毎日毎日、良い足あとをしっかりと残していくということです。足あとを残すという作業は毎日の積み重ねです。ですから今日という日を大切に生きましょう。
3、振り返って恵みを数える。
実は足あとというのは、人のためだけにあるのではなく、自分自身のためにもあります。私たちはときには自分の人生を振り返って、これでよかったのか、このまま進んでいいのか、軌道修正をすることができるのです。それが人生の足あとを見ることです。「あの日あの時、神様は私にこんなことをしてくださった。こんな恵みをくださった。こんな助けを用意してくださった。感謝だなあ。ありがたいなあ。」それを一つ一つ積み重ねることが、自分の人生をまっすぐに神様の方向に向けることになるのです。
互いに励ましあい、クリスチャンとして良い証をしていきましょう。そして良い足あとを残していきましょう。 一度しかない人生のなかで、キリストに出会い、何のために生きるか、自分の使命を発見する。どちらに進んだら良いのか教えてもらう。それがどんなに素晴らしい人生であるのか表現しきれません。 恐れないで、心配しないで、この地上での歩みを全うしていきましょう。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 マタイ6:34