その76 「豊かさと悩み」

2015.08.09

ルカの福音書12:13-21

「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」という訴えからこのたとえ話は始まります。ある金持ちの畑が豊作だったため、畑の主人は大きな倉を立て直して作物と財産を貯めて、これで数年間遊んで暮らせると喜びます。しかし神は彼に『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』と言われました。

1、罪とは神なしに生きようとすること。

イエスはここで「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい」と言われます。確かに人間の欲には限りがなく、コントロールが効かず、かえって人間が自分の欲に支配されることもあります。

さらにここでイエスが警告されたのはその欲が自分を愛し命を与えてくださった神を無視し、神なしで生きられるという傲慢な思いを持つということです。誰も自分の命をコントロールすることはできません。神なしに人間は生きていくことはできないのです。しかし人間は愚かにも、神なんかいなくても自分の思い通りに生きていけると勘違いしてしまいます。

聖書はこのように、命の主である神を認めず、「自分は神から離れていても生きていける」という人間の思い上がりを罪の原点だと戒めています。

2、罪は悩みの原因。

金持ちの畑の主人は、大きな倉を建て、財産をため込むことで人生の悩みがすべて解消されたかのように考えました。しかしそうでしょうか?先ほど見たように人間の欲には限りがなく、きっと彼は今度は貯めた財産を失う不安に悩むことになったに違いありません。また遺産の問題でイエスに訴えた人も、たとえ思ったとおりに財産を手に入れることができたとしても、兄弟間の関係に深刻な問題が残ることでしょう。このようにどんなにお金を持っていたとしても人間の悩みや苦しみは尽きることがなく、その根本的な解決とはならないのです。

人間のすべての悩みは、創造主である神から離れているために生じる心の欠乏感が原因なのです。神に立ち返ることなしに、人間の不安が止むことはありません。

3、神との個人的関係が回復されなければならない。

イエスは最後に「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」と言われました。神に受け入れられなければ、その人がどんなに富んでいたとしても、神の目から見るならば貧しく愚かな存在でしかありません。しかし神との関係を持ち、神からいのちを持っているならば、その人は神の前に豊かに富む者となります。

私たちはまず神との個人的な関係を回復し、滅びることのない永遠のいのちを持たなくてはなりません。それがたとえ富んでいても、貧しくても、悩みや苦しみから自由になる唯一の道です。イエス・キリストはそのために人となって世に来られ、十字架に架けられ、よみがえられました。この方を信じるだけで罪赦され、神との関係が回復されます。このお方を信じましょう。

わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。                ヨハネ 10:10

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