その66 「原罪の結果」

2015.04.19

これで納得!!!救いの一本道⑤

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。 ローマ人への手紙6:23

 キリスト教の教える「原罪」とは、創造主である神から離れている人間の状態です。そしてこの状態が人間のあらゆる苦しみの原因となります。人間が神から離れてしまった結果、どのような苦しみが起こるのでしょうか。

1、 人間の身体は老・病・死を持つようになった。

創世記2:16-17 神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

  神の造られたものはすべて、もともとは死ななくてもよい存在でした。永遠に神を褒めたたえ、神とともに生きるために創造されたのです。しかし最初の人アダムの失敗によって人間に入り込んだ原罪は、すべての造られたものに、年をとって衰えること(老)、ときには病むこと(病)、そしていつかはその命が絶えること(死)をもたらしたのです。神とつながっていた霊はいつか肉体と分離されることになってしまいました。全人類は今も、まさに原罪の呪いのもとに置かれているのです。

2、 人間の心は欠乏感を持つようになった。

 肉体に老・病・死が入り込んだように、神から離れた状態(原罪)は私たちの心にも苦しみをもたらしました。それは一言で言えば「欠乏感」です。創造主である神とつながることで、人は心も身体も安定します。しかし神を見失った人間の心は、欠乏感に悩まされながら、神でなければ埋めることのできない心の穴を、他のもので埋めようとします。ある人は恋愛、ある人はお金、ある人は人に認められることなどによって、欠乏感を補おうとします。しかしその欠乏感は神との関係が回復されない限り決して満たされることはありません。この神との関係がないために起こる欠乏感「何かが足りない」「こんなはずではない」「本当はもっと他に良いものがあるはずだ」という感覚は自分に価値があることを認めず、自分を責めるだけではなく、人を妬んだり、蔑んだり、ときには他人を傷つけても構わないという苦しみの連鎖につながっていくのです。もう一度言います。全人類は今も、まさに原罪の呪いのもとに置かれているのです。

3、神は人を見捨てなかった。

 しかし神は人を見捨てなかったのです。原罪を背負っているために、「生きてても大変、死んだ後も大変」な私たち人間のために、神は御子イエス・キリストをプレゼントしてくださいました。この方を信じるだけで、神との関係が回復され、神の子としてくださり、「生きても大丈夫、死んでも大丈夫」にしてくださいました。そしてたとえ一時的にこの肉体が滅びても、私たちの霊と魂は神のもとに帰り、新しい世界では、新しい身体もいただき、永遠に生きることができるのです。神はこれを何の条件も付けずに、ただで私たちにくださったのです。どうかこのチャンスを、今自分のものとしてください。

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ人への手紙6:23

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