2015.01.25
ルカの福音書18:15-27
神の国に入る人は?
1、自分を低くする人。
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」ルカ18:16-17
子どものように神の国を受け入れるとはどういうことでしょうか。イエス様が子どもをどのようにご覧になっておられたか一つのヒントがマタイの18章に書かれています。
だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。マタイ18:4
「自分はできる。自分はやっている。」ではなく、「自分はできない。小さい。」ということを素直に認めることができる子どものような人こそが神の国にふさわしいのです。
一方この金持ちの役人はイエス様に全財産を売り払えと言われたとき、悲しんで帰ることしかできませんでした。彼には「イエス様それはできません。でも哀れんで助けてください」という心がなかったのです。
「人にはできないことが、神にはできるのです。」ルカ18:27
自分にはできない。でも神様にはできる。このように高ぶりを捨てて、自分を低くすることこそ、神の国に入る条件です。
2、完全に神を信頼する人。
子どもというものは、親に完全に依存し、頼りきります。本来神と私たちの関係はこのようなものです。日頃の心配事を委ねて、神様に頼りきるときに、私たちの心配はなくなります。
ダビデは子どもが母親の前にいるように、神の前にいると告白することができました。その時に心に平安がやってくるのです。
子どものような心で、神様を信頼していきましょう。
3、心砕かれ、悔い改める人。
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。 マタイ18:4
自分の胸を打ち叩いて祈った収税人のように、心砕かれて、へりくだり、悔い改める人こそが、神の国にふさわしい人です。
「自分はあれもやっている。これもできる」ではなく、自分の罪・汚れを認め、「主よ。哀れんで助けてください」と心の底から叫ぶ人こそが、神の国を受取ることができるのです。
リバイバルも、悔い改めの祈りからはじまります。「人にはできないことが、神にはできる」という告白は、心砕かれた、悔い改めの祈りから生まれるのです。
砕かれた心で、神の国を求めていきましょう。
イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」ルカ18:27
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