その56 「鍛えてもらえます」

2014.12.28

へブル人への手紙12:6-13

 キリスト教信仰の特徴の一つは、信仰者はときには神によって試練(訓練)を受けることがあるということです。時にはそれは厳しく、出来たら避けたいと思えるものですが、神はそこに良い目的を持っておられるのです。

1、神は愛する者を訓練する。

12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。

 「神は善い者を祝福で満たし、悪い者に裁き(罰)を与えられる」という概念はその通りであり、聖書の神もそうです。しかし善い者には何の苦労も苦しみも危険もやって来ないかというとそうではありません。ヨセフは牢に入れられ、ダビデは命を狙われ、パウロは批判と迫害を受けました。しかしすべてのことには神の計画と配慮があったのです。

 苦しみのなかを通るときに、神の愛を疑ってはいけません。神に愛されているからこそ、通らされる訓練を前向きにとらえましょう。人生を近視眼的に見るのではなく、長い目で私たちの人生を眺め、最後は良いもので満たそうとしてくださる神の愛と知恵深さを信頼しましょう。

2、訓練には目的がある。

12:11 すべての懲らしめは、 そのときは喜ばしいものではなく、 かえって悲しく思われるものですが、 後になると、 これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

 訓練されて初めて私たちは自分の弱さを知り、神に頼ることを覚えます。また、通らされた苦しみは通った者でしか分からないことがあります。その体験を通して、後で同じ苦しみを通っている人達を慰め、励ますことができるのです。

 そのように、何故苦しみを通らされたかを後で振り返ることによって、私たちは神の愛と約束の確かさを理解することができます。

 2014年を振り返ってみましょう。苦しいことも悲しいことも、主が一つひとつのことを通して、さらに神を良く知り、信頼するように導こうとしてくださっていることを覚えましょう。そして来るべき年が、さらに主の栄光が表されることを求めていきましょう。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。Ⅰコリント 10:13

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