2014.10.05
使徒の働き8:4-19
2章のペンテコステの祭の日に生まれた教会は、エルサレムでどんどん大きくなっていきました。しかしそれは同時に、当時のユダヤ教の指導者たちの警戒と恨みを買うこととなり、大きな迫害を経験することになりました。エルサレムから逃げなくてはならなくなったクリスチャンは逃げてゆく先々でキリストを伝えます。そのうちの一人ピリポはサマリヤというところで福音を分かち合い、多くの信じる者が生まれました。
1、苦しみが道を開く。
迫害されたクリスチャンたちは散らされた先々で、かえって御ことば、福音、イエス様のことを証ししながら進んでいたのだと、聖書は証言しています。このことは、苦しみは彼らを押し潰したのではなく、むしろ逆に自分たちの可能性を広げ、神の計画を進める原動力となったことを教えています。迫害の苦しみが、彼らに宣教の扉を開き、彼らを押し出し、遣わし、神の国の福音を伝えさせることとなったのです。
このように考えるときに、私たちは自分たちの人生に起こる苦しみそのものよりも、その苦しみをどのようにとらえるかによって、信仰者としての生き方が全く違ったものになることを知ることができます。神様の導きを信じ、従っていきましょう。
2、愛が神を動かす。
実はユダヤ人とサマリヤ人の間には歴史的に大きな溝がありました。彼らはお互いに交際せず、むしろ憎み合っていたのです。だからピリポは、このサマリヤを、口を閉ざして通り過ぎることもできたのです。しかし彼の心にはそのようなわだかまりはなく、神の愛によってサマリヤの人たちに福音を伝えました。
このピリポの姿は、私たちの限界を乗り越える武器は、愛であることを教えています。人を愛する愛が、歴史的なわだかまりや、偏見や憎しみを打ち砕き、キリストにある救いを伝えたいという大きな動機を与えるのです。この朝私たちは、自らの心をかえりみて、他の人と自分を隔てている心の壁を打ち砕いてくださいと祈ろうではありませんか。
3、聖霊に満たされる。
この話が再強調しているのは、イエス様を信じてバプテスマを受けたサマリヤ人を見に、ペテロとヨハネが下さってきた。そして手を置いて祈り、この新しくクリスチャンになったサマリヤ人に聖霊がくだったということです。この一連の記述は福音を信じたクリスチャンが聖霊によって、さらに力強くなる姿を教えています。聖霊は私たちを満たし、神の力強さで溢れさせてくださるのです。
この21世紀の日本でも、聖霊は働かれ、私たちを満たし、力付け、慰め、用いてくださいます。この社会にあって、堂々とキリストを信じ、従う信仰者を目指して、この朝も聖霊を祈り求めてまいりましょう。
あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。 1コリント10:13