2014.09.07
創世記24:1-67
妻のサラを失い、年老いたアブラハムは息子イサクの妻となるべき人を見つけなければと思いました。彼はイサクの結婚する相手が異教徒であるカナン人であってはならないと思い、しもべを遣わして自分の生まれ故郷から見つけようと考えます。しもべは主人アブラハムに言われた通りに出発し、そこでリベカという女性をみつけます。彼女はしもべの話を聞き、迷うことなく家族を離れ、イサクのもとへと出発しました。このお話から学べることをみていきましょう。
1、クリスチャンの責任感。
クリスチャンの責任感とは何でしょうか。それは一言で言えば自分だけがよければ良いという考え方をしないということです。アブラハムが責任を持ってやり遂げなければならないと考えたことは物質的なことではなく霊的な責任を果たすということでした。神を信じ、神を敬い、神を礼拝する子孫とするためには、カナン人ではなく自分の故郷から息子の妻を捜さなければならないと考えたのでしょう。
私たちもこの地上でクリスチャンとしての責任を果たすということを考えなければなりません。それは自分の周りの人たちに対して霊的な祝福を分かち合うということです。神様を知り、神様を信じ続けることこそが祝福の鍵であるということを伝えることです。年齢や状況とは関係なしにできることがあるのです。クリスチャンとしての責任感をこれからも培っていきましょう。
2、クリスチャンの影響力。
このしもべの態度を見てください。彼は主人の言われたとおりに出て行って目的地に着いたとき最初に何をしたでしょうか。彼は祈ったのです。「私の主人、アブラハムの神、主よ」と。そしてその祈りが終る前に神様はその祈りに答えてくださったのです。このような態度はまさに、主人アブラハムから与えられた影響であり、信仰に違いありません。
私自身が生き方を変え続け、影響力の強いクリスチャンになることができるようになりたいと願っています。そして私の願いは皆さん全てが、このアブラハムのように影響力の強いクリスチャンになってくださることです。それは皆さんが口にする一言二言ではなく、生き方そのものにかかっています。影響力の強いクリスチャンになりましょう。
3、クリスチャンの安心感。
いうまでもなくこのイサクの嫁取りの背後で働かれていたのは神です。神はアブラハムの信仰から出る行いのすべてを配慮され、その祈りに答えてくださいました。彼とその家族の必要はすべて満たされるのです。彼は安心してその生涯を地上で送り、神のもとに帰ることができました。
私たちも信仰によって、このアブラハムと同じ特権が与えられています。神は私たちの祈りを聞かれ、答えてくださいます。特に人生の必要をすべてご存じで、最も良いタイミングで、最も良いものを備え、与えてくださるのです。これがクリスチャンが安心して生きることができる根拠です。
すべてを大丈夫にしてくださる神。この神に喜ばれるクリスチャン生涯を送っていきましょう。
人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは【主】である。箴言16:9