その42 「人の弱さと神の恵み」

2014.07.26

2コリント12:7-10

    パウロには「肉体のとげ」と言うべき何かの病気があったようです。そこで彼は癒してくださるように神に何度も祈りました。しかしこのパウロの祈りに対して、神様は「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と答えられたと、パウロは告白しています。この時パウロは何か素晴らしいことを悟ったのです。それは何かというと一言で言うなら「神の恵みは人の弱さに働く」ということです。どうしてでしょうか?

1、私たちが高ぶらないため

7節 私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。

パウロ自身が悟ったことによると、彼を苦しめ、弱くする以外の何ものでもない病は、彼が高ぶらないために与えられた苦しみだというのです。もしかしたら彼の心のどこかに、神に頼らず、自分を頼みとする高ぶりが芽生えていたのかもしれません。そこで神様は彼に大切な教訓を与えたのです。高ぶりこそが、人生の最大の落とし穴だということを。この経験を通して、伝道者パウロは、人間的にも信仰においてもさらに成長し、大牧者となったのではないでしょうか。

  「私が弱いときにこそ、私は強い」ということは、自我が砕かれて、神様の前に完全にへりくだって、自分の弱さに向かいあうときです。自分の弱さ、情けなさ、罪深さに向き合うことは、とてもつらいことですが、そのときにこそ、神様の力が、私たちの内側から流れ出ることを信じましょう。

2、私たちがキリストを必要とするため

9節 私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

  私たちは、キリストが私たちのために何をしてくださったのか、もう一度思い出す必要があります。イエス様の生涯のクライマックスは、華々しい奇跡にあったのではなく、十字架にこそ現われたのでした。弱さの象徴のような姿にこそ、全人類の罪を一身に背負うという神様の偉大な決意が現されたのです。

  「こんな弱い自分にはイエス様が必要だ」と思えることこそが、本当の恵みであり、イエス様の力を受取る秘訣です。弱さを覚えるときこそ、イエス様の十字架を見上げていきましょう。

3、神の力を人のために使うため

10節 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

  彼はその強さとは、自分のためにあるのではなく、この手紙の宛先であるコリントの教会の人たちを愛するためにあるのだと言いたかったのです。神から来る力、強さとは、人の上に立つための強さではありません。与えつくす愛の強さなのです。

人は何かを与えるために生まれました。

  私たちが弱いときにこそ、私たちは強いのです。 そしてその神さまの強さを持って、周りの人を愛することをしていきましょう。

なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 2コリント12:10

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