その41 「神にはある」

2014年7月20日

創世記22:1-18

アブラハムの人生のクライマックスの場面です。神はアブラハムに25年間待ってようやく与えられた、愛するひとり子である息子のイサクを捧げるように命じます。神が愛であるなら、何故このような命令をなさるのでしょうか。このことは何を意味しているのでしょうか。

1、神には目的がある。

12節 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

神は目的なく信じて従う者に試練(苦しみ)を与えることはありません。アブラハムは神に試され、合格しました。この試験をパスすることは、彼自身だけでなく、後の人類の歴史に大きな意味があったのです。

  私たちも信じて従うときに、試練にあうことがあります。神の目的がないのであれば、それはただの苦しみであり、意味がありません。しかし神は私たち一人ひとりに最善の目的を持ってくださるのです。目的を持って導いてくださる神を信じましょう。

2、神には祝福の備えがある。

14節 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「【主】の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

  試験に合格したアブラハムには、息子イサクの代わりに神に捧げる雄羊が備えられていました。神の言葉に黙々と従い、自分の息子でさえも捧げようとしたその心に対して、神は応答されたのでした。神に従い、捧げようとする人間を、手ぶらで帰されるようなことはないのです。

  私たちは自分にとってイサクのように大切なものであったとしても、神様が求められるなら捧げるという覚悟を持っているでしょうか。私たちがまことの礼拝を捧げたときに、神が豊かな、無尽蔵の祝福を持って臨んでくださることを期待していきましょう。

3、神には計画がある。

18節 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

  アブラハムには分からなかった神の計画がありました。それはこのアブラハムの子孫からイエス・キリストという救い主が生まれ、神から離れて(罪)苦しんでいる(罪の結果)人々を救うというものでした。アブラハムのひとり子を捧げるという行為は、今から2000年前のキリストの十字架の予告であったのです。

  私たちにとって神の計画はあまりにも深く、その時には理解できないことがたくさんあります。しかし神を信じて従う者にとって、神のなさることに無駄はなく、「(苦しみも含めて)すべてが神の計画であった」と振り返ることができるのです。神の計画を信じて、委ねてゆく生き方を選び取りましょう。

私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。ローマ8:32

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする