その106 「宴会に呼ばれたら…」
2016.05.29 イエスのたとえ24 マタイの福音書22章1-14節 イエスがこのたとえを教えられたのは、十字架に架けられた金曜日の直前の火曜日と言われています。21章の農園を貸して旅に出かけた主人のたとえに続いて語られた話であり、祭司長や長老たちに向かって語られたたとえで...
2016.05.29 イエスのたとえ24 マタイの福音書22章1-14節 イエスがこのたとえを教えられたのは、十字架に架けられた金曜日の直前の火曜日と言われています。21章の農園を貸して旅に出かけた主人のたとえに続いて語られた話であり、祭司長や長老たちに向かって語られたたとえで...
2016.05.22 ヨハネの福音書16章7-15節 「我は聖霊を信ず」(使徒信条) 1、聖霊は神である。 キリストは十字架に架られる前から、復活の後に至るまで、繰り返し、ご自身が天に帰られた後に、聖霊という神が助け主として来られるという予告を弟子たちにしました。ペンテコ...
2016.05.08 使徒の働き17章22-34節 世界には数えきれないほどの「宗教」があります。キリスト教が生まれた当時にもありました。ここではパウロがギリシャのアテネで説教した言葉をもとに、キリスト教の神概念の特徴を考えてみましょう。 私たちの信じる神は… 1、永遠を...
2016.05.01 創世記33章1-4節 20年ぶりの兄エソウとの再会です。あれほどヤコブが恐れていたエソウですが、実際に会ってみると、驚くほどあっけない結末となりました。エソウはヤコブを見ると、攻撃するどころか走って近寄り、首に抱きついて泣いたのです。昔の出来事などすっかり忘れて...
2016.04.24 ヨハネの福音書16章33節 聖書は確かに、クリスチャン生活には勝利があるはずだと約束しています。勿論究極的にはこの勝利は死に打ち勝って、天国に行くという勝利ですが、それ以外にも、この地上での旅のなかで、私たち信仰者は、悪に打ち勝ち、この世の価値観に打ち勝ち、主に...
2016.04.17 マタイの福音書13章47-50節 このたとえは、マタイの福音書13章に記されている、天の御国について教えている7つのたとえ話の最後のものです。漁をする人が、地引網によって多くの魚を取り、岸に引き上げた後で、良いものと悪いものを選別し、悪いものは捨ててしまいます。...
2016.04.10 ローマ人への手紙8章9-11節 キリスト教の「救い」とは神との関係の回復です。では神との関係が回復されると、具体的に私たちはどうなるのでしょうか?一言で言うなら「大丈夫」になります。 1、生きても大丈夫。 それまでどのような人生を歩んでいたとしても、...
創世記32章22-32節 ラバンの元を離れたヤコブはいよいよ生まれ故郷へと向います。20年ぶりの故郷です。普通であれば、胸がはずむ、わくわくする旅であるはずですが、その故郷が近づけば、近づくほど、ヤコブの心は重く沈んでいきました。何故でしょうか。それは20年前に自分が騙して、祝福を横取りし...
2016.03.27 ヨハネの福音書20章19-23節 よみがえられたイエス様が日曜日の夕方に弟子たちの前に姿をあらわす最初のシーンです。ここでイエス様はとても大切な幾つかの言葉を弟子たちに語りかけられました。 この言葉からキリストの復活が彼ら弟子たちにとって、そして今を生きる...
2016.03.20 ルカの福音書23章13-24節 「使徒信条」には3人の名前が記されていますが、そのうちの一人はユダヤの総督としてローマ帝国に任命されていたポンテオ・ピラトです。言うまでもなく、イエス・キリストが十字架で処刑されることに際して、最終的な権限を持っていた人です。彼の...