
その38 「大丈夫」
2014.06.22 ヨハネの福音書14章27節 キリストは十字架に架られる前の最後の晩餐の席で、弟子たちに平安を与えると約束されました。この平安は世界のどこにもないもので、他の誰も与えることのできないものだと言うのです。 実はその平安とは私たち人間が造り主である神から離れたため...
めぐみ福音キリスト教会
2014.06.22 ヨハネの福音書14章27節 キリストは十字架に架られる前の最後の晩餐の席で、弟子たちに平安を与えると約束されました。この平安は世界のどこにもないもので、他の誰も与えることのできないものだと言うのです。 実はその平安とは私たち人間が造り主である神から離れたため...
2014.06.15 イエスのたとえ⑫ マタイの福音書28章28-32節 このたとえ話はバプテスマのヨハネというイエスの活動にさきがけて、神から遣わされた預言者をどのように見るかという宗教家たちとの議論からはじまったものです。 お父さんに頼まれて「はい」と言ったけど従わなか...
2014年6月7日 使徒の働き2章1-4節 聖霊のバプテスマとは… 1、聖霊に満たされる最初の体験である。 聖霊のバプテスマを受けることと、聖霊に満たされるということは同じ意味です。では何が違うかと言うと、聖霊に満たされた最初の時を聖霊によるバプテスマを受けたというのです。...
6月1日 2014年 創世記16:1-10 アブラハムは「子どもが与えられ、その子孫は大いに増える」という約束を何度も神様に与えられ、励まされたにもかかわらず、その歩みは決して固く腹のすわったものではありませんでした。フラフラしてしまうのが、聖書に描かれているアブラハムの姿です。 ...
May 24 , 2014, ヨハネの福音書8章31-34節 誰もが「自由に生きていたい」と願っていますが、現実は心が目に見えない鎖に縛られながら生きている人が多いのではないでしょうか。イエス・キリストは「人は真理によって自由になることができる」と教えています。イエスを信じ、その教え...
マタイ 7章13-14節 イエスは別の箇所で「私は門です。わたしを通ってはいるなら、救われます(ヨハネ10:9)」と語っています。キリストご自身が門であり、キリストを信じることが門から入ることになるのです。 「狭き門」とは入るのに倍率が高く、誰かが入ったら誰かが入れなくなるというようなこと...
神は神と離れてしまった人間を救うために、繰り返し預言者を遣わし、そして最後に御子イエス・キリストをこの地に送り、ご自身の愛と私たいが帰るべきところを示されました。 イエス・キリストこそが私たちのために人となって生まれ、十字架で苦しんだ後に死なれ、そしてよみがえってくださった神のひとり子です。 素直になってこの方を信じるのならば、すべての罪がゆるされ、永遠のいのちが約束されるのです。 この神の愛に応答して、イエスを救い主と信じましょう。
神である【主】は、 人に呼びかけ、 彼に仰せられた。 「あなたは、 どこにいるのか。 」 創世記3章9節 神は人を創りっぱなしで放っておかれるのではなく、人とコミュニケーション、つまり対話をしたいと望んでおられます。 それが人を創造された...
主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。詩篇139:1 人間にとって、最も大きな苦しみは、自分は誰にも知られていないという孤独だと言われてる。 自分は誰からも覚えられていない。誰も本当の自分を理解してくれる人がいない。明るく振舞いながらも、一人ぼっちのような気に襲われて、味気ない...
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。ルカ2:11」 この言葉がクリスマスの中心的メッセージである。羊飼いたちはこのメッセージを、無条件で信じ、大きな喜びを手に入れた。 クリスマスのメッセージとは、私たちのために、そしてあなた...