その258 忠実

2024.09.08

ヨシュア 14章6-15節

この章はユダという一族の、特にカレブという人が、ヘブロンという場所を割り当てられたという話です。カレブがどういう人だったのかを見ながら、神様が私たちに語っておられることをみてまいりましょう。

1、信仰の目で見る。

モーセがエジプトからイスラエルの民を救いだし、約束の地カナンに向かっていたとき、12人のスパイを先にカナンに偵察にいかせました。その12人のなかに、ヨシュアとカレブがいました。他の10人は帰って「あの土地には巨人のような人たちが住んでいて、とても征服などできない」と報告し、民たちを失望させます。しかしヨシュアとカレブは「皆さん。あの土地を攻めて奪い取りましょう。神様が一緒にいて勝利を与えてくださいます」と宣言しました。カレブは物事を信仰の目で見ることができたのです。

このときカレブは85歳になっていましたが、目の前の状況を信仰の目で見て、まだ戦いは終わっていないのにも関わらず、勝利した後にヘブロンの地を割り当てるようにヨシュアに頼んでいるのです。彼の人生はまさに、信仰の人生であり、信仰の目で、目の前の困難、闘い、挑戦を見る人生だったわけです。神様はそんな彼の信仰に答えてくださり、勝利を与えてくださいました。

私たちの人生にも色々なことが起こります。打ちのめされそうになるような困難もあります。でも神様がいてくだされば、絶対に乗り越えることができるのです。私たちの人生に起こる様々なことを信仰の目で見てまいりましょう。

2、主に従い通す。

信仰の目で見るという行為は、一生に一回とか、ある日、ある時の特別なときだけではなく、継続したものでなければなりません。それを聖書は忠実と呼びます。この短い箇所の中に「主に従い通す」という言葉が3回も出てきます。特に最後の14節は、従い通したからこうなったよという、神様の報いが表されています。このカレブの生涯は、「主に従い通す」ことの素晴らしさを教えています。

カレブは生涯、主を信じただけではなく、主に従い通しました。若い時だけではなく、年を取るまででもなく、生涯の最後まで従ったのです。

これは、一人の偉大な信仰者の記録であると同時に、私たちクリスチャン一人ひとりへの強烈な神様からのメッセージです。主は私たちに「私に従い通すのであれば、私はこのカレブのように、あなたの人生を良いもので満ち溢れさすであろう。それは決してあなたが定年になって仕事を辞めるまでではないよ。それは生涯に渡って続くものだ。一生続くものだよ。あなたが幾つになろうとも、私の恵みと祝福が、あなたを追って、あなたは幾つになっても勝利を目にすることができるのだよ」と語っておられるのです。聖書は主に従い通す人生の積み重ねには大きな報いがあるのだと約束しているのです。

主に従い続ける人生。それは何と輝かしい、栄光に富んだものであるでしょうか。主に従い通す決心をしてまいりましょう。

今週の暗証聖句

死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。    黙2:10

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