2018.09.02
「人生のパラダイムシフト②」
ルカの福音書10章38-42節
私たちが変えるべき二つ目のパラダイムは「他の人が自分の期待したとおりに動いてくれない」という考え方です。この問題は私たちの生活の中で、至るところに現れるものではないかと思います。「子供が思ったように育ってくれない」「夫が思ったとおりに自分にしてくれない」など、私たちの苦しみの原因となることが多いのではないでしょうか。
1、問題は自分の心にある。
イエス様はここで、マルタに劇的なパラダイムシフトを迫ります。「あなたが問題と思っていることはマリヤの問題ではありません。これはあなた自身の問題です。あなたの心が今多くのことに奪われて、思い煩っているのです。」「他の人が期待したとおりに動いてくれない」という問題を「自分の心の問題」へと見方を変えるように言われたのです。このストーリーは決して一生懸命接待をしていたマルタは良くない、あるいは劣った人で、一生懸命イエス様の話を聞いていたマリヤは良い、あるいは優れている人と教えているのではありません。イエス様が問題にされたのは「あなたの心は今どこにあるのか」ということです。マルタも自分の責任を果たそうと一生懸命に頑張っていた。でも不安や心配、怒り、憤りに心を占められると、せっかくのがんばりが報われないことになりやすいものです。そんな気持ちになったら、とにかく私のもとに来なさい、私の言うことを聞きなさい、それを何よりも一番にしなさい、といわれたのでした。
2、緊急のことより重要なこと。
私たちの行動を強く促すものは大きく分けて2種類に分けられます。緊急のことか、重要なことか。勿論緊急で重要なことをするのが1番良いのでしょうが、残念ながら私たち現代人は重要なことではなくて、緊急のことに追いまくられて生きているというのが実情ではないでしょうか。もっと悪いことは、自分の人生にとって重要なことは何かさえ分からないことです。
あなたを今動かしているのは緊急のことでしょうか。重要なことでしょうか。あなたの心を支配しているのはマルタのような緊急事項でしょうか、それともマリヤのように重要事項でしょうか。私たちクリスチャンの特権は人生の重要なことに焦点を当てた生き方ができるということです。イエス様が心の中心におられるなら、私たちは何があっても動じることはありません。
3、他の人のために。
イエス様がその後マルタに教えられたことは、「人が何を必要としているのか考えてみなさい」ということでした。「マリヤは良いほうを選んだ。それを取り上げてはいけません。」イエス様の教えは「この人が何もしてくれない。」という心から「この人に何が必要なのだろうか」という発想にチェンジしてみなさい、ということです。相手を自分の思ったとおりに動かそうと思っているうちは、間違ったシグナルが出て、物事は良い方向には進みません。でもこの人に必要なものは何だろうというレンズで物事を見るようになった時に、正しい、相手を生かすシグナルが出るようになり、物事が変わり始めるのです。
私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。 ロマ15:2